阿蘇神社。富士見市東大久保の神社
阿蘇神社の概要
阿蘇神社は、富士見市東大久保にある神社です。阿蘇神社の創建年代等は不詳ながら、かつて下南畑に鎮座していた阿蘇神社は、十玉院の僧侶が生国から勧請して永正元年(1504)に創建したと伝えられ、また当社地隣接地は大久保氏の屋敷跡であったことから、戦国時代の勧請ではないかといいます。明治40年に大久保地内の諸社を合祀しています。
社号 | 阿蘇神社 |
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祭神 | 阿蘇比女之命 |
相殿 | 素戔嗚尊、菅原神社公、大日孁尊、宇迦之御魂命、市杵島姫命 |
境内社 | 明石稲荷・八坂、笠森稲荷・弁天、平安・御山守・疱瘡・御嶽・琴平 |
祭日 | - |
住所 | 富士見市東大久保82 |
備考 | - |
阿蘇神社の由緒
阿蘇神社の創建年代等は不詳ながら、かつて下南畑に鎮座していた阿蘇神社は、十玉院の僧侶が生国から勧請して永正元年(1504)に創建したと伝えられ、また当社地隣接地は大久保氏の屋敷跡であったことから、戦国時代の勧請ではないかといいます。明治40年に大久保地内の諸社を合祀しています。
「埼玉の神社」による阿蘇神社の由緒
阿蘇神社<富士見市東大久保八二(東大久保字南畑界)>
当地は、荒川と新河岸川に挟まれた低地で、もとは大久保と呼ばれたが、同郡に同名の村があったことから東久保と称するようになった。
当社は『風土記稿』に「阿蘇明神社 本社は土地高く塚の如き上にあり、これも観音寺の持、末社 荒神社 稲荷社 疱瘡神社」とあり、真言宗神明山観音寺が当社の別当となったのは江戸中期以降と伝えられる。当社境内の隣接地が、戦国期に、当地を領有していた大久保(大窪)氏の屋敷跡であることから、同氏の守護神であったともいう。
阿蘇神社が関東に祀られる例は少ないが、当社に程近い下南畑にも阿蘇神社があった。この社は、大正元年に下南畑の八幡神社に合祀されているが、往時、本山修験十玉院末の万蔵院が別当を務め、永正元年に万蔵院が造営したことを記す棟札があったといい、本山十玉院の僧が生国より分霊したと伝える。また、別当を務めた万蔵院は、聖護院直末、日本二十八先達のうち、当国九ヶ寺の一つであったほどの古い修験であった。このようなことから当社の勧請には、十玉院とのかかわりが推察される。
本殿は神明造りで、内陣には、「奉納阿蘇大明神 元禄十三庚辰天正月吉祥日」と刻まれた金幣、並びじ享保一一年一二月、正一位阿曾大明神の神位を授けた宗源宣旨が奉納されている。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による阿蘇神社の由緒
(大久保村)
天神社
村内觀音寺の持、
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阿蘇明神社
本社は土地高く塚の如き上にあり、これも觀音寺の持、
末社。荒神社、稲荷社、疱瘡神社
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氷川社
當社は上南畑村の鎮守なれば、社の修理等は其村にて司どれり、
別當長圓寺
眞言宗新義、上南畑村金蔵院の門徒、椙久山と號す、本尊彌陀を安ぜり、
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牛頭天王社
稲荷社
辨財天社
以上三社村の持、
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稲荷社四宇
共に觀音寺の持、(新編武蔵風土記稿より)
阿蘇神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)