下福岡天満宮。富永善左衛門が館の鬼門除けに勧請
下福岡天満宮の概要
下福岡天満宮は、ふじみ野市福岡にある天満宮です。下福岡天満宮は、後北条氏の家臣富永善左衛門が天神社と称して館の鬼門除けに勧請したと言われ、当地よりも200mほお北東に鎮座、神楽殿や境内社など擁していたといいます。明治42年(1909)の神社合祀(一村一社の政策)により天神社は長宮氷川神社に合祀されたものの、下福岡の住民により当地に再び祀られ天満宮と称しています。
社号 | 天満宮 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | ふじみ野市福岡262 |
備考 | - |
下福岡天満宮の由緒
下福岡天満宮は、後北条氏の家臣富永善左衛門が天神社と称して館の鬼門除けに勧請したと言われ、当地よりも200mほお北東に鎮座、神楽殿や境内社など擁していたといいます。明治42年(1909)の神社合祀(一村一社の政策)により天神社は長宮氷川神社に合祀されたものの、下福岡の住民により当地に再び祀られ天満宮と称しています。
境内掲示による下福岡天満宮の由緒
天満宮(天神社)
天神社の創建は不詳ですが、伝承によれば、戦国時代に後北条氏の家臣で福岡村を領地とした富永善左衛門が館の鬼門の方角を守護するために勧請したと言われています。
神社の場所については、元は現在よりも二百メートル程北東にあり、背後に雑木林をひかえ、神楽殿や境内社などの建物を備えるなど大規模なものだったことが伝わっています。
明治四十二年(1909)の神社整理により長宮氷川神社に合祀(合併)され、その後に下福岡の住民により旧地に近い場所に再び社殿が造られたようです。その際、「天満宮」の名称が付けられたものと思われます。なお、一説では長宮氷川神社の神楽殿は天満宮からの移築と言われています。
現在、天満宮には社殿と鳥居、社務所があり、社には天神様と天王様が祀られています。神事祭礼は、元旦祭、春祈祷三月二十五日、天王様のまつり七月十四日(それに近い日曜日)があります。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による下福岡天満宮の由緒
(福岡村)
天神社
陣屋跡の傍にあり、星野和泉持(新編武蔵風土記稿より)
参考資料
天神社由緒
御祭神菅原道真公(通称天神様)
本社は下福岡の城山に居を構えた富永善左衛門なる武将の屋敷鎮守である。
富永氏は小田原北条の臣で、小田原北条の支配の代官としてこの地方に君臨した
永禄二年小田原北条衆役帳に富永善衛門入東郡福岡内渋谷(井)分を領し六八貫六二三匁とある。
尚御祭神は座像である。
入間神社詞による(長宮氷川神社境内掲示より)
下福岡天満宮の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)