亀久保神明神社。ふじみ野市亀久保の神社

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亀久保神明神社。斉藤実盛の子孫斎藤勝之丞が勧請

亀久保神明神社の概要

亀久保神明神社は、ふじみ野市亀久保にある神明神社です。亀久保神明神社は、当地の草分け島田家が慶長3年(1598)に稲荷社を氏神として奉斎、享保年間(1716-1736)に斉藤実盛の子孫斎藤勝之丞(恵海法印)が地蔵院の住職として入寺、斉藤家では神明社を氏神としていたことから、稲荷社社地に神明宮を勧請して本社とし、祀られていた稲荷社を境内社としたといいます。

亀久保神明神社
亀久保神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 大日孁貴尊(天照大神)
相殿 -
境内社 八坂神社、武蔵野稲荷神社
祭日 初午2月11日、春季大祭4月21日、八坂神社大祭7月25日、秋季大祭10月15日
住所 ふじみ野市亀久保2-16-22
備考 -



亀久保神明神社の由緒

亀久保神明神社は、当地の草分け島田家が慶長3年(1598)に稲荷社を氏神として奉斎、享保年間(1716-1736)に斉藤実盛の子孫斎藤勝之丞(恵海法印)が地蔵院の住職として入寺、斉藤家では神明社を氏神としていたことから、稲荷社社地に神明宮を勧請して本社とし、祀られていた稲荷社を境内社としたといいます。

ふじみ野市教育委員会掲示による亀久保神明神社の由緒

亀久保神明神社
当社の正確な創立年代は不詳ながら、慶長三年(一五九八)の創立で、大日孁貴尊(天照大神)を祀り、当初より村の産土神として崇敬されています。
新編武蔵風土記稿などから、地蔵院が当社の別当をつとめていたことが明らかです。
口伝によれば天文十五年(一五四六)四月二十日川越夜戦(上杉氏と北条氏との戦い)の時に敗れた斉藤利永、信広親子(斉藤別当実盛の子孫)は入間郡野老沢(所沢)に住みつき、一族の武運長久を祈って弘治二年(一五五六)九月二十一日京都より所沢に神明社を勧請したといわれています。信広より六代目の次男勝之丞は出家して恵海法印と称して亀久保地蔵院座主となり、享保年間に所沢の神明社を木の宮稲荷社の地へ勧請し、自ら地蔵院別当となったということです。
拝殿には、宝暦八年(一七五八)・明和二年(一七六五)・寛政十一年(一七九九)などの古い大絵馬(市指定文化財)を奉献するほか、境内に天保十二年(一八四一)の手水鉢や、力石四十貫(一五〇kg)と三十貫(一二〇kg)の二つが現存しています。かつては、境内に周囲一丈三尺(四m)ほどにおよぶ老杉があり、古社としての風格を色濃く残していたといわれます。
明治五年(一八七二)の社格制定の際、古社であり、また一村の鎮守であることから村社となりました。大正十二年(一九二三)四月に、神饌幣帛料供進神社に指定されました。昭和四年(一九二九)、本殿裏に古神札納所が設置され、さらに昭和八年(一九三三)社務所が改築されました。その後、昭和三十二年(一九五七)四月、拝殿や幣殿が老朽化したため、氏子の寄付によって再建されました。その際に解体した梁木に文化年間(一八〇四~一八)の鷹匠の墨書が確認されたといわれています。
平成十七年(二〇〇五)から平成二十四年(二〇一二)にかけて「亀久保神明神社境内整備事業」が、氏子会・総代役員により実施され、平成二十三年(二〇一一)度には新しい社務所が建設されるなど、境内全域の大規模な整備が進められました。
境内には、天保十二年(一八四一)五月創立の八坂神社と、明治四十年(一九〇七)五月九日に武蔵野から移転した稲荷神社が祀られています。
亀久保地区には明治十年(一八七七)に市内の苗間地区から伝授されたという亀久保はやしが伝えられており、神社や地域のお祭りのときに亀久保囃子保存会によりにぎやかに演奏されます。(ふじみ野市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による亀久保神明神社の由緒

神明神社<大井町亀久保九九四(亀久保字亀井)>
亀久保の地名は慶長年間、鉢形城の落人三上山城守が当地に居を構えて、村の北東にある出水流の窪地が亀に似ているとして、万代不易を願って名付けたという。当地では、氏子の三上本家と島田家がシバビラキ(草分け)といわれている。
当社の鎮座地の脇には江川が流れ、古くから村人の生活用水として使用されていた。現社地には、当社が祀られる以前から島田一家の氏神として稲荷社が祀られていた。当地は水田耕作に適さず、麦や粟などの畑作物を中心に耕作し、稲荷社に豊作祈願する者が多かったという。現在、当社周辺は住宅地となっているが、元はこの辺り一帯、島田一家の所有する畑であった。
当社の創建は、天文一五年に河越夜戦で討ち死にした斎藤丹波少輔利道の後裔、斎藤勝之丞が出家し、享保年間に別当木ノ宮山地蔵院の住職となってからである。斎藤家の守護神は、神明宮であるため、勝之丞が地蔵院の住職になるに当たり、稲荷社社地に神明宮を勧請して本社とし、稲荷社は境内社となったが、これも後に神明社に合祀された。現在ある境内社の稲荷神社は、明治四〇年に武蔵野から境内に合祀したものである。往時、別当寺の影響がいかに強いものであったか物語る一例といえる。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による亀久保神明神社の由緒

(亀窪村)
稲荷社
村民持なり、
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神明社
地蔵院の持、(新編武蔵風土記稿より)


亀久保神明神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)

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