地蔵院。ふじみ野市亀久保にある真言宗智山派寺院

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木宮山地蔵院。鎌倉時代初期創建、市指定天然記念物のしだれ桜

地蔵院の概要

真言宗智山派寺院の地蔵院は、木宮山薬王寺と号します。地蔵院は、武蔵野木宮地蔵尊を守護する別当寺として正和3年(1314)に覚応上人が創建、享保元年(1716)に隆善が中興したといいます。江戸期には亀久保神明神社鶴ヶ岡八幡神社の別当を勤め、祈祷・祈願を専らとする寺院だったころから、明治維新後の神仏分離後は荒廃、無住の期間が続いたものの、大正10年に住持を迎えて以降再建が進められたそうです。境内のしだれ桜は樹齢四百年前後とされ、ふじみ野市天然記念物に指定されています

地蔵院
地蔵院の概要
山号 木宮山
院号 地蔵院
寺号 薬王寺
本尊 地蔵菩薩像
住所 ふじみ野市亀久保3-11-11
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



地蔵院の縁起

地蔵院は、武蔵野木宮地蔵尊を守護する別当寺として鎌倉時代初期の正和3年(1314)に覚応上人が創建、享保元年(1716)に隆善が中興したといいます。江戸期には亀久保神明神社鶴ヶ岡八幡神社の別当を勤め、祈祷・祈願を専らとする寺院だったころから、明治維新後の神仏分離後は荒廃、無住の期間が続いたものの、大正10年に住持を迎えて以降再建が進められたそうです。

「大井町史民俗編」による地蔵院の縁起

亀久保の地蔵院は新義真言宗、地蔵菩薩を本尊として木宮山地蔵院薬王寺と称する。新座市大和田普光明寺の末寺で、鎌倉時代の正和三年(一三一四)、覚応上人によって創立され、享保元年(一七一六)隆善の中興と伝えている。江戸時代には、武蔵野木宮地蔵、神明社、鶴ケ岡八幡社などの別当をつとめていたが、明治の末頃無住となり、その頃は近所のお婆さん達が留守居をしていたと伝えている。大正一〇年に現住職の先々代が普光明寺から入り無住の期聞が終った。しかし無住の頃に寺が荒廃し、住職が移ってきた当時は、本堂の草屋根が落ちてしまう程であったという。昭和二七年には火災にあい、本堂・薬師堂を残して焼失し文書類も失なってしまったが、昭和三六年に再建されて現在に至っている。(「大井町史民俗編」より)

新編武蔵風土記稿による地蔵院の縁起

(亀窪村)
地蔵堂
武蔵野木の宮地蔵と稱す、坐身にて長二尺五寸の像なり、建仁三年に記したる縁起一巻あり、其略に云、延暦廿余年田村将軍北國征伐の時、故有て當所に地蔵堂を造營し、その後建仁元年鎌倉右大将家の旗下なりし二階堂隠岐入道が、不思議の靈驗を見しかば再建すと、この縁起はもとより妄誕のこと多くして取べきものにはあらざれど、古き堂なることは近郷にもきこへたれば、ゆへある像とはみえたり、
別當地蔵院
新義眞言宗、大和田村普光明寺の末なり、木宮山薬王寺と號せり、
薬師堂。秘佛なりとて、見ることを許さず、(新編武蔵風土記稿より)


地蔵院の縁起

  • 地蔵院のしだれ桜(ふじみ野市指定文化財)

地蔵院のしだれ桜

ふじみ野市の天然記念物に指定されている地蔵院のしだれ桜は、春の彼岸に花を咲かせる江戸彼岸桜の変種です。樹齢は昭和五十三年の文化財指定当時で三百五十年前後(江戸時代中頃)と指定されました。
しだれ桜のある亀久保地蔵院は、鎌倉時代の創建と伝えられている古刹です。寺の歴史には及ばないものの、この桜は、地蔵院とともに亀久保の移り変わりを見守ってきたことになります。
しだれ桜の寿命は、三百年前後といわれており、樹勢に衰えが見られるようになったため、平成十年に樹勢回復の措置が取られました。この措置により、陽春には見事な花が現在も私たちの目を楽しませてくれています。(ふじみ野市教育委員会掲示より)

地蔵院の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」