川崎氷川神社。長宮氷川神社を勧請して創建
川崎氷川神社の概要
川崎氷川神社は、ふじみ野市川崎にある氷川神社です。川崎氷川神社の創建年代等は不詳ながら、日出間三郎右衛門元春他二名が武田家滅亡後、当地に土着して村を開拓したことから、長宮氷川神社を勧請して創建したのではないかといいます。明治5年村社に列格しています。
社号 | 氷川神社 |
---|---|
祭神 | 須佐之男命 |
相殿 | 奇稲田姫命、大己貴命 |
境内社 | 八雲神社、稲荷神社、神武天皇石碑、厳島神社 |
祭日 | 天王祭7月15日前後、秋祭10月15日 |
住所 | ふじみ野市川崎147 |
備考 | - |
川崎氷川神社の由緒
川崎氷川神社の創建年代等は不詳ながら、日出間三郎右衛門元春他二名が武田家滅亡後、当地に土着して村を開拓したことから、長宮氷川神社を勧請して創建したのではないかといいます。明治5年村社に列格しています。
境内掲示による川崎氷川神社の由緒
川崎地区は新河岸川流域の低地で、地名は武蔵野台末端が舌状に突き出し、その周囲を新河岸川が取り巻くようにして流れている地形に由来する。地内には縄文期の遺跡が数多く存在し、早くから居住地になっていたことが知られている。
創立年月日は不詳ですが、明治五年村社に列する由緒ある神社です。
長宮氷川神社 宮司 星野昌弘(境内掲示より)
「埼玉の神社」による川崎氷川神社の由緒
氷川神社<上福岡市川崎一四七(川崎字宮脇)>
川崎は新河岸川流域の低地と、それに続く台地上に位置する。地名は武蔵野台地末端が舌状に突き出し、その周囲を新河岸川が取り巻くようにして流れている地形に由来する。地内には縄文期の遺跡が数多く存在し、早くから居住地になっていたことが知られる。
当社は、口碑によると甲斐国武田家の家臣、日出間三郎右衛門元春他二名が武田家滅亡後、当地に土着して村を開いたとされ、この日出間三郎右衛門元春が氷川神社の御祭神であるとも伝えられている。
このことから当社の創立には日出間家が大きくかかわったものと思われ、市内の長宮氷川神社が既に長徳元年の建立であり、江戸初期には当地方一円の守護神とされていたことから、当社もこの信仰を受け継いで祀られたものと考えられる。
『風土記稿』川崎村の項に「氷川社 当所の鎮守なり、村民持、末社 稲荷社、疱瘡神社、天王社」とあるが、現在、境内末社は八雲神社・稲荷神社・厳島神社(弁財天)・神武天皇神社の四社となっている。
祭神は素盞嗚命・稲田姫命・大巳貴命である。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による川崎氷川神社の由緒
(川崎村)
氷川社
當村の鎮守なり、村民持
末社。稲荷社、疱瘡神社、天王社。(新編武蔵風土記稿より)
川崎氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)