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駒林八幡神社。ふじみ野市駒林の神社

駒林八幡神社の概要

駒林八幡神社は、ふじみ野市駒林にある八幡神社です。駒林八幡神社は、寛正年間(1460-1465)に鷺ノ宮と称して創建したと伝えられ、江戸時代前期に駒林村の地頭を務めた旗本小栗平吉が、(若宮)八幡社を創建したところ、八幡社が村の信仰を集めるようになり、明治5年村社に列格、明治40年に稲荷・山神・神明・浅間とともに鷺ノ宮も合祀されたといいます。

駒林八幡神社
駒林八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 鷺宮、浅間、山神・疱瘡・神明・稲荷・八坂合殿
祭日 -
住所 ふじみ野市駒林892
備考 -



駒林八幡神社の由緒

駒林八幡神社は、寛正年間(1460-1465)に鷺ノ宮と称して創建したと伝えられ、江戸時代前期に駒林村の地頭を務めた旗本小栗平吉が、(若宮)八幡社を創建したところ、八幡社が村の信仰を集めるようになり、明治5年村社に列格、明治40年に稲荷・山神・神明・浅間とともに鷺ノ宮も合祀されたといいます。

ふじみ野市教育委員会掲示による駒林八幡神社の由緒

八幡神社は、江戸時代から駒林の鎮守とされ、祭神は誉田別命である。
創建は、室町時代中期の寛正年間(一四六〇~一四六五)と伝えられるが不詳である。
他の伝承によれば、字鷺森の鷺宮神社が当初の駒林村鎮守であったが、江戸時代前期に駒林村地頭(領主)を務めた幕府旗本の小栗平吉が、武家の神として八幡大菩薩(誉田別命の別名)を信仰して八幡神社を創建したところ、村民の信仰も集めるようになり、やがて鎮守になったという。
元禄十四(一七〇一)年の検地帳には、境内三反十八歩のほかに、八畝三歩及び九畝十歩の田が免除地とされるなど、小栗氏や川越藩などの領主から手厚い保護を受けた。
神道と仏教が混在して信仰された江戸時代までは、村内の天台宗安楽寺の僧侶が別当(神社の所有者・管理者)として八幡神社の神事・祭礼を行った。
明治時代に入って、神仏分離と別当廃止により、宮司が置かれるようになった。明治五(一八七二)年に、駒林村の村社に指定された。明治四十年代に、鷲宮神社・浅間神社・山神社・稲荷神社などが、境内に合祀された。(ふじみ野市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による駒林八幡神社の由緒

八幡神社<上福岡市駒林八九二(駒林字生勢ヶ谷戸)>
駒林は市の南部にあり、東西に帯状に広がる地域である。当地の東部は苗間より水を引いて水田を作り、中央部に古くからの集落がある。また、西部は丸山又は西と呼ばれる畑地であったが、この畑地は昭和五〇年代に入り、新興住宅地となっている。
社記に「寛政年間より別当天台宗安楽寺奉仕。社殿は地頭小栗平吉の建立」とある。元禄一一年の駒林村諸色明細帳には「千百八十五坪安楽寺支配八幡面地是ハ從先規御地頭様御建立被遊候」と見え、土地が寄進されていたことが知られる。
『風土記稿』に「若宮八幡社 神体は束帯にて、馬上に跨り彩色あり、村内安楽寺持。鷺ノ宮 相伝ふ当社は勝頼村内榛名権現の属神なる由、元は此村の鎮守なりしが、いつの頃か改りて今は八幡を鎮守とせり、村内安楽寺の持なり」と載せる。口碑に、鷺宮は元禄五年殿様から土地の奉納もあり、村の鎮守であったが、殿様が八幡様を信仰して本殿を造ったのでこちらが鎮守になったと伝え、また、榛名様が舟で来て、この舟が御舟山になり、船頭が鷺宮になったともいう。
一間社流造りの本殿は、社記に「享保十九年十一月一五日社殿再建」とあり、内陣には騎乗の八幡明神像(二四センチメートル)を安置している。
明治五年に村社となり、同四〇年には境内に稲荷・鷺宮・山神・神明・浅間の各社を合祀した。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による駒林八幡神社の由緒

(駒林村)
若宮八幡社
神體は束帶にて、馬上に跨り彩色あり、村内安楽寺持、
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鷺ノ宮
相傳ふ當社は勝瀬村内榛名権現の屬神なる由、元は此村の鎮守なりしが、いつの頃か改りて今は八幡を鎮守とせり、村内安楽寺の持なり、
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山神社
是も安楽寺の持、(新編武蔵風土記稿より)


駒林八幡神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)