上水子氷川神社。水子村上組の鎮守
上水子氷川神社の概要
上水子氷川神社は、富士見市水子にある氷川神社です。上水子氷川神社は、当地区の開拓がはじまった天正元年(1573)に創建、水子村上組の鎮守として祀られていたといいます。明治時代末期の神社合祀に際して、明細帳から抹消されたものの、戦後法人登記を行ったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊・奇稲田姫尊 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、天神社、牛頭天王、八雲、稲荷、花園、稲荷 |
祭日 | - |
住所 | 富士見市水子1399 |
備考 | - |
上水子氷川神社の由緒
上水子氷川神社は、当地区の開拓がはじまった天正元年(1573)に創建、水子村上組の鎮守として祀られていたといいます。明治時代末期の神社合祀に際して、明細帳から抹消されたものの、戦後法人登記を行ったといいます。
「埼玉の神社」による上水子氷川神社の由緒
氷川神社<富士見市水子一三九九(水子字氷川前)>
鎮座地水子は、国史跡の水子貝塚で有名である。当社を一般に上組の氷川社と呼ぶが、これは、水子村が正保年間に旗本三浦・杉浦・芝山の相給になっていたため、村を上・中・下に分け、それぞれに名主を置いた名残であるという。ちなみに中組は山王社を、下組は神明社を鎮守として祀っている。
当社の創建については、天正期に村を開発し当社を祀った話が伝わる。近辺に氷川社を祀る所が多くあることから、いずれからか人々が入植し、勧請したものと思われる。『郡村誌』に「氷川社 東西一八間南北八間面積百四十四坪、村の西北にあり、素盞嗚尊を祭る、天正元年九月勧請、祭日三月十五日」とある。また、昭和四一年社殿改築の際に発見した梁の墨書に「天正元庚酉年九月勧請」とあった。
祭神は素盞嗚尊・奇稲田姫尊で、本殿に二体の神像を安置する。
合祀については、明治の末期、いわゆる一村一社制により、当社を三区(下組)の氷川社へ合祀する話が持ち上がった。驚いた氏子は、昔は村が異なっていたことを理由にこれを拒否したと伝える。しかし『明細帳』では、当社は抹消され、氏子には知らされず合祀は行われた模様である。以後、終戦を迎え、法人登記を行い今日に至っている。
江戸期の別当は近くの不動寺であったという。以後、水宮家が社家となり、現在水宮三衛が務めている。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による上水子氷川神社の由緒
(水子村)
氷川社二宇
一は村内總ての鎮守にて福性寺持、一は上組の鎮守とす、村民持、(新編武蔵風土記稿より)
上水子氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)