上鶴間氷川神社。富士見市諏訪の神社
上鶴間氷川神社の概要
上鶴間氷川神社は、富士見市諏訪にある氷川神社です。上鶴間氷川神社の創建年代等は不詳ながら、鶴馬村は少なくとも室町時代には形成され、その頃には創祀されていたのではないかといいます。江戸期には下鶴間氷川神社と共に村の鎮守として祀られ、明治5年には村社に列格していました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、神明神社、北野天神社、雷電神社、厳島神社 |
祭日 | 例大祭5月1日、秋例祭10月15日 |
住所 | 富士見市諏訪2-1-72 |
備考 | - |
上鶴間氷川神社の由緒
上鶴間氷川神社の創建年代等は不詳ながら、鶴馬村は少なくとも室町時代には形成され、その頃には創祀されていたのではないかといいます。江戸期には下鶴間氷川神社と共に村の鎮守として祀られ、明治5年には村社に列格していました。
境内掲示による上鶴間氷川神社の由緒
当神社は武蔵野台地の東端に位し周囲には上古の住居址等多く存在、古代人の生活場であった処に建立されてその創立年度は不詳であるが、徳川中期、正徳元年に再建の棟札が現存している。又徳川時代の検地水帳に諏訪神社と共に広い敬愛地が領地として記録されているのでその創立は古くこの地方(旧鶴馬)の鎮守氏神として地域の住民の信仰は厚い。又境内に弁天池の湧水がありそれに通ずる雲居の滝の涼気をさそう緑の遊歩道がある。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による上鶴間氷川神社の由緒
氷川神社<富士見市諏訪一-一三-二四(鶴間字折戸)>
当地は新河岸川右岸の沖積地に開けた水田地帯とそれに続く武蔵野台地上に位置する。鶴間の地名は往古、湿地帯であった当地に鶴が飛来したことに由来するという。『北条家所領役帳』にはすでに「鶴間村」と載り、室町後期には一村を成していたことが知られる。
『明細帳』には「創立年度不詳ト雖ドモ社殿棟札ヲ見閲スルニ今ヲ去ル百十九年前即チ正徳元辛卯年十二月当時別当瑠璃光寺第十七世翁舜ノ代之ヲ再建ストアルノミナラス元禄年間検地水帳ニ顕然除地ノ名称アルヲ熟考スレハ勧請年紀ハ遥カ上代ノ事ト思量ス右ハ古社且産土神タルヲ以テ明治五年村社ニ列レラル」とある。
当市内には氷川神社が多く分布し、資料などからそれらのほとんどが江戸期以前の創建とされることから、当社の創建も村の開発された当時にさかのぼるものと思われる。
一間社流造りの本殿は、棟札によると正徳元年の建立で、当市内でも古い建築物に属する。
境内末社としては、貞享三年に加治義盛が勧請した北野天神社、寛政二年に名主加治右衛門が勧請した厳島神社をはじめとして雷電社・明神社・稲荷社などを祀る。「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による上鶴間氷川神社の由緒
(鶴馬村)
氷川社二宇
共に村の鎮守なり、一は村内来迎寺、三光院兩寺持、一は村内瑠璃光寺持、(新編武蔵風土記稿より)
上鶴間氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)