下鶴馬氷川神社。富士見市鶴馬の神社

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下鶴馬氷川神社。富士見市鶴馬の神社

下鶴馬氷川神社の概要

下鶴馬氷川神社は、富士見市鶴馬にある氷川神社です。下鶴馬氷川神社の創建年代等は不詳ながら。地内横田家の先祖が中心となって村の開発がすすめられ、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建されたといいます。江戸期には上鶴間氷川神社と共に村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格、明治40年字谷津貝戸の稲荷神社、同境内社八雲神社を合祀しています。

下鶴馬氷川神社
下鶴馬氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 健速素盞嗚命
相殿 -
境内社 稲荷社、八雲社
祭日 春祈禱4月9日
住所 富士見市鶴馬2-1-72
備考 -



下鶴馬氷川神社の由緒

下鶴馬氷川神社の創建年代等は不詳ながら。地内横田家の先祖が中心となって村の開発がすすめられ、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建されたといいます。江戸期には上鶴間氷川神社と共に村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格、明治40年字谷津貝戸の稲荷神社、同境内社八雲神社を合祀しています。

「埼玉の神社」による下鶴馬氷川神社の由緒

氷川神社<富士見市鶴間二-一-七二(鶴間字御庵)>
鶴間は新河岸川右岸の沖積地に開けた水田地帯と、それに続く武蔵野台地上に位置し、村の開発は、屋号をオオゴワンという横田家の先祖が中心となって行われたと伝えられる。
当社は台地上の北端に鎮まり、その創建は口碑によると、武蔵国一の宮氷川神社から分霊したものといわれ、『明細帳』にも同様の言い伝えが載る。『風土記稿』鶴間村の項に「氷川社二宇 共に村の鎮守なり、一は村内来迎寺三光院両寺持、一は村内瑠璃光寺持」と載り、この内来迎寺と三光院の両寺が別当を務めるのが当社である。
明治初めの神仏分離により両寺の管理を離れ、明治五年に村社となり、同四〇年、境内社の神明社二社および字谷津貝戸の稲荷神社、同境内社八雲神社を当社境内社の稲荷神社に合祀したとされるが、このうち八雲神社は、現在稲荷社とは別の社殿に祀られている。
社殿の造営は『明細帳』によると、明治二年、当時の戸長横田福太郎の主唱により再営されている。更に、昭和四三年には明治百年を記念して拝殿が改築された。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による下鶴馬氷川神社の由緒

(鶴馬村)
氷川社二宇
共に村の鎮守なり、一は村内来迎寺、三光院兩寺持、一は村内瑠璃光寺持、(新編武蔵風土記稿より)


下鶴馬氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)