龍王山護國寺。富士見市勝瀬にある天台宗寺院
護國寺の概要
天台宗寺院の護國寺は、龍王山不動院と号します。護國寺の創建年代等は不詳ながら、当寺には建長四年銘(1252年)の板碑が残されている他、地内の榛名神社も室町時代以前の創建が推定されていることから、古くよりの創祀が窺えます。
山号 | 龍王山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 護國寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 富士見市勝瀬723 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
護國寺の縁起
護國寺の創建年代等は不詳ながら、当寺には建長四年銘(1252年)の板碑が残されている他、地内の榛名神社も室町時代以前の創建が推定されていることから、古くよりの創祀が窺えます。
新編武蔵風土記稿による護國寺の縁起
(勝瀬村)護國寺
天台宗、郡中古谷本郷灌頂院末、龍王山と號す、本尊三尊の彌陀にて長一尺三寸許り、行基菩薩の作と云傳ふ、境内に古碑四基あり、其内慶長四年十二月八日黒明比丘尼、正長四年十一月六日重阿禅門と彫たる二基はもとより有し碑にて、外二基は近き頃井の中より出せし物なりと云、正和・天文の年號もあり、何れも何人の碑なることは詳ならず、
辨財天社(新編武蔵風土記稿より)
護國寺所蔵の文化財
- 板碑(富士見市指定有形文化財)
板碑
板碑は、鎌倉時代の中頃から戦国時代にかけて造立された中世の供養塔です。長瀞付近で産出する緑泥片岩で作られたものがほとんどを占めます。上部に阿弥陀佛を意味する梵字(種子)等を刻み、その下に造立した年月日や造立者、目的等が記されます。
護国寺境内の板碑三基のうち、二基はほぼ完全で高さが三m近くあります。この二基は種子の他は磨滅して年号等が不明ですが、もう一基には「建長四年十一月八日 黒州比丘尼」と記されています。建長四年は鎌倉時代中頃(一二五二年)にあたり、慈光院跡の板碑とともに市内最古のものです。いずれも細身で、種子の上に額があり一段厚く張り出すという共通点を持ち、新河岸川流域の初期板碑と特徴的な一群として注目されています。(富士見市教育委員会掲示より)
護國寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」