西雲山来迎寺。富士見市鶴馬にある天台宗寺院
来迎寺の概要
天台宗寺院の来迎寺は、西雲山光明院と号します。来迎寺の創建年代等は不詳ながら、当地周辺が「御庵(ごあん)」と呼ばれていたことから、往古より当地で奉安されてきたのではないかといいます。
山号 | 西雲山 |
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院号 | 光明院 |
寺号 | 来迎寺 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
住所 | 富士見市鶴馬2-1-49 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
来迎寺の縁起
来迎寺の創建年代等は不詳ながら、当地周辺が「御庵(ごあん)」と呼ばれていたことから、往古より当地で奉安されてきたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による来迎寺の縁起
(鶴馬村)来迎寺
是も同寺(灌頂院)の門徒なり、西雲山光明院と云ふ、本尊は三尊の彌陀置けり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉宗教名鑑」による来迎寺の縁起
来迎寺(天台宗)
西雲山光明院と号す。
創立年代は不詳であるが、このあたりの字が御庵(ごあん)というのもこの寺があったことに起因するといわれている。
当寺は、富士見の学校教育とは特に深いかかわりがある。宝暦年間(1751~64年)すでに住職晃順が寺子屋を開設している。また明治の初期に鶴馬学校の前身である初学制度が横田源吾によって来迎寺に実施された記録がある。
寺の門前にある延命地蔵の石像は、現在鶴馬団地の奥にある字下郷の女人講中37名で、享保13年(1728年)に建立した由緒ある地蔵さまで、女房達の浄財で建立した石像としても数少ないといわれる。(「埼玉宗教名鑑」より)
来迎寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉宗教名鑑」