原郷愛宕神社。原郷小名木ノ本の鎮守
原郷愛宕神社の概要
原郷愛宕神社は、深谷市原郷にある神社です。原郷愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、原郷小名木ノ本の鎮守として祀られ、現在は楡山神社の総代・奉賛会が原郷愛宕神社の運営を兼ねているといいます。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 火産霊神 |
相殿 | - |
境内社 | 三峯社 |
祭日 | 4月15日 |
住所 | 深谷市原郷2031 |
備考 | - |
原郷愛宕神社の由緒
原郷愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、原郷小名木ノ本の鎮守として祀られ、現在は楡山神社の総代・奉賛会が原郷愛宕神社の運営を兼ねているといいます。
新編武蔵風土記稿による原郷愛宕神社の由緒
(原ノ郷)愛宕社
村の鎮守とす、榛澤郡深谷村寶珠院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による原郷愛宕神社の由緒
愛宕神社<深谷市原郷二〇三一(原郷字木ノ本)>
幡羅郷は古代『和名抄』に載る上秦郷・下秦郷・広沢郷・荏原郷・那珂郷・霜見郷・余部郷と共に、幡羅郡を形成する八郷の一つであった。原郷の名は、この幡羅郷の遺名とみられ、明治二十二年までは原ノ郷村と記されていた。
当社の鎮座地は、原郷の南部を通る中山道沿いにある。文化三年(一八〇六)の『中山道分間延絵図』によると、山林に囲まれた社地に「深谷宿宝珠院持愛宕」とある。また、明治初期の『郡村誌』は、上地された「愛宕林」を載せ、反別四町二反九畝一四歩と広大な山林を有していたことがわかる。ちなみに、鎮座地周辺の小名を木ノ本と呼ぶのは、この社叢に由来している。
往時の別当は、宝珠院大沼坊であった。同院は、当社の裏手に住し年聞の祭事並びに諸祈願を行っていたと伝えるが、明治初年の神仏分離により退転している。
明治三十九年一月十六日未明、当社は本股・覆屋共に全焼した。当時の届け出書によると、原因は社殿床下に宿る浮浪者による火の不始末と推測されるとある。古くから神徳により当地では火災が発生することがなかったことから、初めての火災で愛宕様が焼けたことについて、氏子は自分たちの身代わりになって焼かれたのだといい、再度、火防の神に対する祈りの心を強くしたという。(「埼玉の神社」より)
原郷愛宕神社の周辺図