寂定山西運寺。深谷市深谷町にある浄土宗寺院
西運寺の概要
浄土宗寺院の西運寺は、寂定山弘通院と号します。西運寺は、徳蓮社法誉(弘冶元年1555年寂)が開山となり創建、徳川家康関東入国後に深谷城主となった松平源七郎康直が中興開基したといいます。慶安3年(1650)には寺領15石6斗の御朱印状を拝領しました。西運寺境内には、深谷上杉家の家臣杉田因幡の墓があります。
山号 | 寂定山 |
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院号 | 弘通院 |
寺号 | 西運寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 深谷市深谷町3-81 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西運寺の縁起
西運寺は、徳蓮社法誉(弘冶元年1555年寂)が開山となり創建、徳川家康関東入国後に深谷城主となった松平源七郎康直が中興開基したといいます。慶安3年(1650)には寺領15石6斗の御朱印状を拝領しました。
新編武蔵風土記稿による西運寺の縁起
(深谷宿)西運寺
浄土宗、下総国岡田郡飯沼弘経寺末、慶安三年寺領十五石六斗余の御朱印を附らる。寂定山常照院と号す。開山を徳蓮社法誉と云う。弘冶元年正月十六日寂す。開基は松平源七郎康直なりといへども、康直当所を賜はりしと、開山僧の寂年と、年代合ざれば、恐は中興の開基なるべし。康直の事は下に出せる三高院の條に出せり。
鐘楼。享保四年新鋳の鐘を掛く。
二十三夜堂。
稲荷社。天神社。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による西運寺の縁起
浄土宗、寂定山弘通院と称し、下総国の弘教寺の末寺である。開山は徳蓮社方誉で、弘治元年(一五五五)に没した。深谷城主松平康直も深く当寺を信仰した。慶安三年(一六五〇)幕府より寺領十六石の御朱印を受けた。境内の二十三夜堂は「さんやさま」として二十三日の縁日には遠近の人々の参詣で賑わった。境内には杉田因幡の墓がある。因幡は幼少より深谷上杉家に仕え、戰功を立てて重臣となり、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉関東攻略の際、秀吉方の前田利家と浅田長政の許に城明け渡しの軍使として赴き深谷の街を戦禍から救った。
朱印状、朱印箱と因幡の宝篋印塔が市の文化財に指定されている。
昭和六十年三月深谷上杉顕彰会(第十七号)(境内掲示より)
西運寺所蔵の文化財
- 御朱印状付御朱印状箱(深谷市指定文化財)
- 杉田因幡墓(深谷市指定文化財)
西運寺の周辺図