稲荷山東源寺。深谷市稲荷町にある浄土宗寺院
東源寺の概要
浄土宗寺院の東源寺は、稲荷山玉寶院と号します。東源寺は、空蓮社真誉善公(明応7年1498年寂)が開山となり、文明18年(1486年)創建したといいます。
山号 | 稲荷山 |
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院号 | 玉寶院 |
寺号 | 東源寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 深谷市稲荷町2-5-21 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 稲荷町保育園併設 |
東源寺の縁起
東源寺は、空蓮社真誉善公(明応7年1498年寂)が開山となり、文明18年(1486年)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による東源寺の縁起
(深谷宿)東源寺
同末(浄土宗西運寺末)、稲荷山玉寶院と号す。本尊三尊弥陀を安ず。開山空蓮社真誉善公文明十八年当寺を起立し、明応七年正月二十六日寂す。
鐘楼。明和五年鋳造の鐘を掛。(新編武蔵風土記稿より)
東源寺所蔵の文化財
- 菊図坊祖英塚(深谷市指定文化財)
菊図坊祖英塚
この碑は、元は稲荷の地蔵堂の前(仲仙道南側)にあったが、後にここへ移された。この塚については、文化二年(一八〇五)に出た「木曽路名所図絵」に、「観音堂 深谷にあり、一本の柳の元に菊図坊の碑あり 其銘に曰 我仏法に入りて風雅を悟り風雅にもとづきて仏法をさとる。「死ぬ事を知って死ぬ日やとしのくれ 菊図坊」」
と記されている。菊図坊は、加賀国(石川県)出身俳人である。
江戸時代の中ごろ仲町の脇本陣杉田氏宅に、四・五年滞在し、深谷宿近隣の俳人を指導した。没後明和五年(一七六八)深谷の俳人南柳亭素山たちによって塚が建立された。塚の銘は加賀の人半化坊蘭更の書である。
平成六年四月深谷上杉顕彰会(第二十七号)(境内掲示より)
東源寺の周辺図