樋上天神社。行田市樋上の神社、旧樋上村鎮守
樋上天神社の概要
樋上天神社は行田市樋上にある天神社です。樋上天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると、石田堤の跡に洪水を避けるようにして堤の下に出来た村落で正保年間前に下忍村より分村したといい、また樋上天神社から寛永と宝暦の年紀がある棟札が見つかっていることから、江戸時代初期に創建されたものと考えられます、江戸時代には、旧樋上村鎮守となっていました。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | 松社(大己貴命)、梅社(少彦名命) |
祭日 | 例祭日8月24・25日 |
住所 | 行田市樋上187 |
備考 | - |
樋上天神社の由緒
樋上天神社の創建年代や由緒については不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると、石田堤の跡に洪水を避けるようにして堤の下に出来た村落で正保年間前に下忍村より分村したといい、また樋上天神社から寛永と宝暦の年紀がある棟札が見つかっていることから、江戸時代初期に創建されたものと考えられます、江戸時代には、旧樋上村鎮守となっていました。
新編武蔵風土記稿による樋上天神社の由緒
天神社
村内の鎮守なり。寶珠院持(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による樋上天神社の由緒
樋上の地名は、用水の樋に由来するというが詳細は不明である。地内に古墳後期の集落遺跡がある。
社記に「慶長十三申年十二月本村検地帳二天神前或ハ天神後、天神キワト載セタリ然レバコレ以前ノ勧請ナルべシ」とある。
また、口碑に「樋上天神社は、寛永年中家数も少なかった氏子が厚い信仰心から、高いお金を出し合って造ったもの」とあり、昭和52年に本殿覆屋の屋根替えをした時、寛永と宝暦の年紀がある棟札が見つかった。その後、棟札は再び棟に納められている。
「風土記稿」に「天神社 村内の鎮守なり、宝珠院持」とあり、真言宗宝珠院が別当であったことが知られる。
本殿の床板は張られていない。これは当地が日光街道聖裏街道に当たり博徒の往来が多く、氏子もこの影響を受け当社に集まっては博打をした名残である。本殿は手入れを受けた時の逃連用抜け穴の入日であった。幣芯を失った金幣が、穴の上に一枚の板を置いて祀ってある。
本殿前に置かれた石製の牛像一対は「享和元年酉五月吉日」の銘があり、佳作である。
境内社に、大己貴命を祀ると伝えられる松社と、少彦名命を祀るという梅社があるが由緒は不詳である。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
樋上天神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)