中里八幡神社。行田市中里の神社

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中里八幡神社。行田市中里の神社、旧中里村鎮守

中里八幡神社の概要

中里八幡神社は、行田市中里にある八幡神社です。中里八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地には蔵殿権現(蔵王権現か)の塚があったと伝えられます。天文2年(1533)に再興されたと伝えられ、江戸期には八幡社と称して中里村の鎮守社とされていました。明治45年には字新在家の雷電社を合祀しています。

中里八幡神社
中里八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 天神社、三峰社、塞神
祭日 -
住所 行田市中里413
備考 旧中里村鎮守



中里八幡神社の由緒

中里八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地には蔵殿権現(蔵王権現か)の塚があったと伝えられます。天文2年(1533)に再興されたと伝えられ、江戸期には八幡社と称して中里村の鎮守社とされていました。明治45年には字新在家の雷電社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による中里八幡神社の由緒

(中里村)八幡社
村の鎮守なり。萬徳寺の持
萬徳寺
同宗(新義真言宗)、持田村宝蔵寺門徒なり。八幡山と号す。本尊阿彌陀。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中里八幡神社の由緒

中里は、利根川と荒川の二大河川の流れによって形成された沖積平野の一角で、この湿潤地を利用し、古くから農耕が営まれていた。地名は条里制によると考えられ、その遺構が確認されている。
当社の鎮座する字は蔵殿と呼ばれ、蔵殿権現(蔵王権現か)の塚があったと伝えられ、また勝陣場(精進場)と呼ばれる地名も近くに残っている、地名、又は加須市岡古井の通殿神社の例を勘案すると修験との関係を思わせる。
社記に伝えられるところによれば、天文二年に再興されたとある。現在、当社に蔵されている棟札には寛政一〇年の年紀が見え、万徳寺がその管理に当たっていたことが知られる。真言宗万徳寺は八幡山と号していたが、明治初めの神仏分離により廃寺となった。まお、寺跡地は神社に隣接しており現在は民有地となっている。
江戸期、八幡大菩薩と称していたが、神仏分離に伴い神号を改め誉田別命とした。明治四五年、字新在家の雷電社を合祀しているが、これを記録した木札には「訓令ニ依リ其筋ヘ願上新在家ニアリシ雷電社ヲ當社ヘ合祀致シ候雨屋者構造宜シキタメ是ヲ用ヒ候事、明治四五年三月十日、社掌茂木庫之助」とあり、雨屋(覆屋)には雷電社の社殿を使用したことがわかる。祀職は現在も茂木家が奉仕している。(「埼玉の神社」より)


中里八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)