野氷川神社。荒川が氾濫しないよう願い氷川様を勧請
野氷川神社の概要
野氷川神社は、行田市野にある氷川神社です。野氷川神社の創建年代は不詳ですが、境内碑文によると天文年間に荒川が氾濫しないよう願い氷川様を勧請して創建したと伝えられ、野村原組の鎮守社であったといいます。明治41年には、野村に鎮座していた他の天神社(野天満大自在天神)・八幡社・新明社(野神明社)・諏訪神社を合祀、野村の鎮守となったといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 行田市野885-1 |
備考 | - |
野氷川神社の由緒
野氷川神社の創建年代は不詳ですが、境内碑文によると天文年間に荒川が氾濫しないよう願い氷川様を勧請して創建したと伝えられ、野村原組の鎮守社であったといいます。明治41年には、野村に鎮座していた他の天神社(野天満大自在天神)・八幡社・新明社(野神明社)・諏訪神社を合祀、野村の鎮守となったといいます。
新編武蔵風土記稿による野氷川神社の由緒
(野村)氷川社
村の鎮守なり。社内に元和2年再建の棟札あり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県神社庁「埼玉の神社」による野氷川神社の由緒
当地は元荒川の左岸に広がる農業地帯である。この元荒川は寛永六年に関東郡代伊奈半十郎忠道が河川改修を行うまでは、荒川の本流であった。それまでの荒川といえば、その名が示す通りの暴れ川で、四年に一度は必ず氾濫していたといわれている。そこで、こうした度々の災害に困窮した村人たちが川の神様であるという氷川様を祀り、川が荒れないように願ったのが当社の創建であると伝えられ、境内にある「氷川神社の碑」の碑文によると、それは天文年間のこととされている。祭神は素盞嗚尊で、本殿は「風土記稿」に載る「元和二年再建」のものと思われ、美しい彫刻が施されている。
当社は元来、野村全体の鎮守ではなく、その一耕地である原組の鎮守であり、ほかの耕地では各々の鎮守を祀っていた。ところが、明治四一年の合祀により、周りの耕地の鎮守であった天神社・八幡社・新明社・諏訪神社を合祀したことから、村鎮守として祀られるようになった。ただし、合祀した諸社の社殿はそのまま旧地に残され、今もそれぞれの耕地の人々の手で祭りが続けられている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
野氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)