前玉神社。延喜式神名帳記載の式内社、郷社
前玉神社の概要
前玉神社は、行田市前玉にある神社で浅間塚古墳に鎮座しています。前玉神社の創建年代や由緒については不詳ですが、延喜5年(905年)に作成された延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「前玉神社」に比定される古社です。境内社の浅間神社は、忍城主成田下総守氏長の命により、忍城内に祀ってあった浅間社を当地へ遷座したものといわれます。

社号 | 前玉神社 |
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祭神 | 前玉彦命、前玉比売神 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間神社、明治神社、天神社、稲荷社 |
祭日 | 例大祭4月15日・10月15日 |
住所 | 行田市埼玉5450 |
備考 | - |
前玉神社の由緒
前玉神社の創建年代や由緒については不詳ですが、延喜5年(905年)に作成された延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「前玉神社」に比定される古社です。近世に入り、忍城主成田下総守氏長の命により、忍城内に祀ってあった浅間社を当地へ遷座したといわれます。明治6年に郷社に列格、明治41年当村付近の神社を合祀してできた明治神社があります。
新編武蔵風土記稿による前玉神社の由緒
新編武蔵風土記稿では、「浅間社」として浅間社遷座にまつわる江戸時代の口承を伝えています。
浅間社
祭神木花開耶姫命にして、「延喜式」に載せたる前玉神社なれば郡中の総鎮守なりと土人いへいり。
されど屈巣村の傳へには、当社は式内の社にはあらず、昔富士の行者己が命の終る時に臨み、当所にのみ雪を降すべしといひしに、六月朔日終穏の日、果たして雪の降りたることあれば、成田下総守氏長奇異の思をなし、此所に塚を築き、家人新井新左衛門に命じて、忍城中にありし浅間社をここに移し、則成田氏の紋をつけて、行者の塚上に建り。されば忍城没落の後、彼新左衛門屈巣村に住せしより、子孫今の五郎左衛門に至り祭礼毎に注連竹を納むるをもて例とすと。
社地の様平地の田圃中より突出せる塚にて、周り二町程、高さ三丈余、四方に喬木生い茂り、頂上は僅に十坪程の平地にして、そこに小社を建つ。これを上ノ宮と云、夫より石階数十級を下り、又社あり。これを下ノ宮と云。
相傳ふ、此塚は天正の頃下総守氏長の築きし塚といへど、其様殊に古く、尋常のものにはあらず。上古の人の墳墓地なるも知るべからず、されば当社の鎮座も古きことにて、彼行者の霊社なりと云は、尤便事にて取べからざつは勿論なり。成田氏の紋を記せるは、天正の頃彼の家より造立してかくせしにや。されど天保天和等の棟札のみを蔵て、余に證すべきこともなければ、詳かなることは知るべからず。
例祭は5月晦日、6月朔日・14日・15日なり。
本社の外に拝殿、神楽殿あり。
前玉神社所蔵の文化財
- 前玉神社の石鳥居(行田市指定文化財)
- 石燈篭(行田市指定文化財)
- 槙(行田市指定天然記念物)
前玉神社の石鳥居
この鳥居は、延宝4年(1676)11月に忍城主阿部正能家臣と忍領氏子達によって建立されたものである。
鳥居は明神系の形式で、正面左側の柱に由来を示す銘文が刻まれており、江戸時代における浅間神社の隆盛を伝える貴重な建造物である。(行田市教育委員会掲示より)
前玉神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)