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下忍神社。行田市下忍の神社、旧下忍村の鎮守

下忍神社の概要

下忍神社は行田市下忍にある神社です。下忍神社の創建年代や由緒については不詳ですが、下忍村は、忍城の下(外れ)といい戦国時代以前からの名称で、古くから久伊豆社と称して鎮座していたと伝えられ、旧下忍村の鎮守となっていました。明治2年村社に列格、高畑の塞神社、東谷の天神社をを合祀、明治42年に下忍神社と改称、さらに同年中京田の山神社、高畑の琴平神社を合祀したといいます。

下忍神社
下忍神社の概要
社号 下忍神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 山神社、琴平神社
祭日 -
住所 行田市下忍1160
備考 旧下忍村鎮守、旧村社、もと別当寺:明光寺



下忍神社の由緒

下忍神社の創建年代や由緒については不詳ですが、下忍村は、忍城の下(外れ)といい戦国時代以前からの名称で、古くから久伊豆社と称して鎮座していたと伝えられ、旧下忍村の鎮守となっていました。明治2年村社に列格、高畑の塞神社、東谷の天神社をを合祀、明治42年に下忍神社と改称、さらに同年中京田の山神社、高畑の琴平神社を合祀したといいます。また、高畑の琴平神社は行田遍照院の金毘羅大権現だったといいます。

新編武蔵風土記稿による下忍神社の由緒

(下忍村)久伊豆社
村の鎮守とす。明光寺持。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による下忍神社の由緒

「武蔵志」には「下忍、境地ノ南ニテ士町足軽町アリ」と載せ、口碑には「下忍の地名の下は、上(殿様)に対するもので、当地は武士が住んでいたところから、忍城に対して下忍と呼ぶようになった」とある。
当社の創始は、口碑に「下忍神社は晋、久伊豆社と呼んでいた。久伊豆社は武蔵七党の一つ私市党の氏神で、私市城の鎮めに祀った社である」というが、私市城との関係は明らかにできない。また「明細帳」には「昔ヨリ下忍村上組総鎮守ト仰キ云々」とあり、「風土記稿」には「久伊豆社 村の鎮守とす、明光寺持」と載せている。
明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治2年に村社となり、同3年高畑の塞神社を境内に合祀し、同42年には東谷の天神社を本殿に合祀して、社号を下忍神社と改める。更に、同年中京田の山神社、高畑の琴平神社を境内に合祀する。
合祀社のうち塞神社は、古くは道六神と称し、既に「慶長13年検地水帳」(島崎隆家所蔵)にその名が見えることから古社であることが分かる。また、琴平神社は、旧別当明光寺の本山、行田遍照院の金毘羅大権現であり、神仏分離により下忍飯田萬吉家に移され、次いで当社に合祀したものである。内陣に、「弘化四年開眼供養」の墨書がある金毘羅権現像(24cm)を安置している。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


下忍神社所蔵の文化財

  • 新川早船絵馬(行田市指定文化財)

新川早船絵馬

本絵馬は明治6年に琴平神社に奉納されたもので、江戸時代から明治初頭頃にかけて賑わった新川河岸に関わる人々が奉納したものである。
絵師は岩田霞岳で、中央には早船の様子、左上には河岸問屋の様子が描かれ、下半部には奉納者の名前と国・村名が列記されている。当時の荒川舟運や新川河岸の様子、金比羅信仰の様相等を示す貴重な資料である。(行田市教育委員会掲示より)


下忍神社の周辺図


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