成正寺。行田市駒形にある浄土真宗本願寺派寺院

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寿光山成正寺。行田市駒形にある浄土真宗本願寺派寺院

成正寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の成正寺は、寿光山成正寺と号します。奥平松平家が文政6年(1823)伊勢から忍へ移封の際、当地に浄土真宗本願寺派の寺院がなかったことから、奥平松平家家老職加藤大炊が、開基賢随と協力して築地御坊(築地本願寺)出張道場を開き、成正寺となったといいます。

成正寺
成正寺の概要
山号 寿光山
院号 -
寺号 成正寺
住所 行田市駒形2-7-7
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 白鳩保育園併設



成正寺の縁起

成正寺は、奥平松平家が文政6年(1823)伊勢から忍へ移封の際、当地に浄土真宗本願寺派の寺院がなかったことから、奥平松平家家老職加藤大炊が、開基賢随と協力して築地御坊(築地本願寺)出張道場を開き、成正寺となったといいます。

境内掲示による成正寺の縁起

文政6年(1823)松平下総守が、伊勢(三重県)の桑名から当地に移封になった際、ここに本願寺派の寺院がなかったため、家老職加藤大炊は、開基賢随と協力して「築地坊舎出張道場」として当寺を建立し、世人はお出張り御坊と称した。家老職加藤家の祖加藤景義は、奥平信昌に仕えて居ったが、関ヶ原戦後主君信昌が京都守護の任に就いた際、たまたま石田三成の残党の安国寺恵瓊が本願寺にかくれた。信昌はこの事によって兵火が本願寺の伽藍にふりかかることを怖れて、加藤景義を使者として准如上人に勧めて、安国寺恵瓊を逐わされた。この事から加藤家と本願寺との関係が生じ、後に忍(行田)に移封の際、加藤家のために成正寺の創立となったのである。
昭和8年に本堂庫裡新築、昭和45年に書院新築、昭和49年に本堂改修、昭和60年に鐘楼が建立された。(境内掲示より)


成正寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿