天真山高源寺。正木丹波守勝英開基
高源寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の高源寺は、天真山高源寺と号します。豊臣秀吉の小田原攻めの際に、忍城で活躍した正木丹波守勝英(天正19年6月2日卒)が開基となり、守天和尚を迎えて高源寺を創建しました。正木丹波守勝英は、「成田下総守氏長に仕へ、天正18年忍城に楯籠りて佐間口を守り、落城の後当所に土着して卒すといへり」と新編武蔵風土記稿に記載されている武将で、忍城攻防戦で正木丹波守勝英が戦った当地に高源寺を建てて戦死者の菩提を弔ったといわれます。
山号 | 天真山 |
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院号 | - |
寺号 | 高源寺 |
本尊 | 観音像 |
住所 | 行田市佐間1-2-9 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高源寺の縁起
高源寺は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、忍城で活躍した正木丹波守勝英(天正19年6月2日卒)が開基となり、守天和尚を迎えて創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による高源寺の縁起
禅宗臨済派、上崎村龍光寺末、天真山と号す。開山守天和尚、慶長5年8月25日示寂。開基は成田下総守氏長の家人正木丹波守勝英なり、天正19年6月2日卒し、傑宗道英と謚す。当寺に墳墓あり。本尊正観音を安置す。(新編武蔵風土記稿より)
高源寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿