月光山妙音寺。行田市佐間にある臨済宗妙心寺派寺院
妙音寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の妙音寺は、月光山妙音寺と号します。妙音寺は、文禄元年(1592)に草創、慶長9年(1605)に密伝宗吾禅師が開山しました。本尊の十一面観音坐像は、廃寺となった埼玉村普門寺(忍城外廓江戸町より埼玉村へ移転後、廃寺となり天祥寺が創建される)に安置されていた本尊を当寺へ移したものです。
山号 | 月光山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙音寺 |
本尊 | 観音像 |
住所 | 行田市佐間3-7-36 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙音寺の縁起
妙音寺は、文禄元年(1592)に草創、慶長9年(1605)に密伝宗吾禅師が開山しました。本尊の十一面観音坐像は、廃寺となった埼玉村普門寺(忍城外廓江戸町より埼玉村へ移転後、廃寺となり天祥寺が創建される)に安置されていた本尊を当寺へ移したものです。
新編武蔵風土記稿による妙音寺の縁起
禅宗曹洞派。新座郡野火止平林寺末、月光山と号す。文禄元年の草創にして、開山密傳慶長9年10月9日化す。開基瑑外昌白庵主は、慶長5年9月9日卒すとのみ云傳へて、俗称等は知らす。勢至を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による妙音寺の縁起
当山は、慶長9年(1605)密伝宗吾禅師の創建。
本尊は、十一面観音像で等身大の見事なものである。
しかし、この本尊には、次のような哀別の物語がある。
そのことは、この従一面観音座像の胎内にあった二通の文書によって知ることが出来る。
「明暦3年(1657)忍城が本格的に築城されるに際し、江戸町(天満)にあった「普門寺」は、立ち退きを余儀なくされ、埼玉村(古墳の入口)に移される。
さらに、文政6年(1823)松平氏の天祥寺造営のため普門寺は廃寺とされ、本尊の十一面観音像は、当妙音寺へ預けられることになった」
これだけ見事な本尊を持つ普門寺がなぜ時勢の波間に消えていったのか、歴史への興味をそそるのである。
爾来、400年の光陰は矢の如く流れて、現在は17世優雅和尚の時代となっている。
かぞえきれない多くの天災地変に遭いながらも、法灯は明るく照らされ続け、今も十一面観音像は深い信仰を集めている。(境内掲示より)
本尊のあった普門寺について
禅宗曹洞派。新座郡野火止平林寺末、應身山と号す。本尊観音。当寺も長永寺と同じ所(元忍城の外廓)にありしを、同時にここ(埼玉郡埼玉村)に移せり。(新編武蔵風土記稿より)
妙音寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿