赤沢星宮神社。宮司家松本氏の祖先が当地付近に奉祀
赤沢星宮神社の概要
赤沢星宮神社は、飯能市赤沢にある神社です。赤沢星宮神社は、宮司家松本氏の祖先が当地付近に奉祀、明徳4年(1393)当地松本氏邸内の大欅の根方に遷座したといいます。明治5年村社に列格、明治41年字笠縫の神明社・稲荷社・地神社・熊野社・軍荼利社、及び各境内社10社を合祀しています。
社号 | 星宮神社 |
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祭神 | 天之御中主神 |
相殿 | 大日孁貴尊、猿田彦命、素戔嗚命、応神天皇、倉稲魂命 |
境内社 | 菅原社、畠山金十郎稲荷、弁天 |
祭日 | 例祭4月5日、夏祭り7月中旬の土日 |
住所 | 飯能市赤沢299-1 |
備考 | - |
赤沢星宮神社の由緒
赤沢星宮神社は、秩父の住人畠山駿河守重俊が妙見社と称して朝日山(朝見山)頂上に康平2年(1343)に創建、元亀2年(1571)に時の権力者加治修理大輔・岡部小次郎佐・久林民部少輔などが山麓(現在の奥宮)に奉遷したといいます。江戸時代には、幕府より社領2石5斗の御朱印状を受領、元禄15年(1702)当地へ遷座したといいます。明治維新後の神仏分離令により星宮神社と改称、明治5年村社に列格、明治41年中屋敷神明社・字茶内白髭神社を合祀、翌年字上の台八雲神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による赤沢星宮神社の由緒
(赤澤村)
妙見社
慶安二年二石五斗の御朱印を附せらる、社内に元禄中の棟札あり、その文に康永二癸未十一月三日、畠山駿河守重俊草創、元亀二辛未六月三日、加治修理大輔・岡部小次郎佐久・林民部少輔再興すと見えたり、本山修験妙見寺の持、
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白髭社
同寺持、
鰐口一口。何の頃にやありけん、この社前に捨ありしものと云、その銘に奉掛觀世音鰐口一丁、上州勢田郡安舊郷、元亀四年三月十五日、赤井氏馬佐敬白と有、
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妙見寺
日影山千萬坊と號す、本山修験、郡内篠井村觀音堂の配下なり、本尊は不動を安置せり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による赤沢星宮神社の由緒
星宮神社<飯能市赤沢二九九-一(赤沢字東大房)>
大字赤沢は、古くは日影村の一部であったが、日影村が江戸初期に赤沢・中藤・原市場の三村に分かれ、独立した一村となった。
当社の創建は、康永二年一一月三日、秩父の住人畠山駿河守重俊により行われたもので、当初は境内の裏の朝日山(朝見山ともいう)の頂上に祀られていたが、それでは参拝が困難であるという理由から、元亀二年に時の権力者加治修理大輔・岡部小次郎佐・久林民部少輔らによって山麓(現在の奥宮)に奉遷した。この時の棟札は現存しており、社宝になっている。更に元禄一五年には現在の鎮座地に社殿が造営され、慶安二年八月には朱印地二石五斗を受けている。
明治五年、村社となったのを機に、社名を創建以来使われていた妙見社から星宮神社に改め、同四一年、四二年にかけて地内にあった無格社を合祀している。
祭神は天之御中主神で、一間社流造りの本殿には鏡と懸仏が納められている。
元来、当社の祀職は、本山派修験の妙見寺の日影家が務めていたが、神仏分離により同寺が廃寺となったため、代わって篠井(現狭山市笹井)の観音堂の配下で、明治の初めに復飾して神職となった宮原家が当社社家となった。(「埼玉の神社」より)
飯能市史資料編による赤沢星宮神社の由緒
創建年月日は、はっきりしない。報告書には、永禄中(1558~1569)新風記と明細帳は、同社の棟札を引用して「康永二年癸未十一月三日畠山駿河守重俊草創」と記す。(康永二年<1343>)元亀2年(1571)拝殿再営。
明治5年村社に列し、古来の妙見社を星宮神社と改称した。同41年3月23日字中屋敷無格社神明社を合祀。同年12月24日字茶内無格社白髭神社を合祀、同42年3月5日字上の台無格社八雲神社を合祀した。(飯能市史資料編より)
赤沢星宮神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」