久下稲荷神社。飯能市稲荷町の神社

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久下稲荷神社。久下分村鎮守

久下稲荷神社の概要

久下稲荷神社は、飯能市稲荷町にある神社です。久下稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、寛永13年(1636)創建と伝えられ、江戸期には久下分村の鎮守社だったといいます。明治5年には村社に列格、明治41年に字川端村社秋葉神社、字真行坂無格社稲荷神社、字柳渕無格社稲荷神社、字打出無格社稲荷神社を合祀しました。

久下稲荷神社
久下稲荷神社の概要
社号 久下稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神、火産霊命、河菜姫命、宇気母智命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 飯能市稲荷町1-3
備考 -



久下稲荷神社の由緒

久下稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、寛永13年(1636)創建と伝えられ、江戸期には久下分村の鎮守社だったといいます。明治5年には村社に列格、明治41年に字川端村社秋葉神社、字真行坂無格社稲荷神社、字柳渕無格社稲荷神社、字打出無格社稲荷神社を合祀しました。

新編武蔵風土記稿による久下稲荷神社の由緒

(久下分村)稲荷社
飯能村能仁寺持。
稲荷社
村民の持。(新編武蔵風土記稿高麗郡之四久下分村項より)

飯能市史資料編による久下稲荷神社の由緒

創建年月日は、はっきりしないが、神社誌には、寛永13年(1636)再営という。明細帳によれば久下分村の鎮守として、明治5年に村社に列し、同41年7月7日下記の諸社を合祀して、稲荷神社と称した。
字川端村社秋葉神社、字真行坂無格社稲荷神社、字柳渕無格社稲荷神社、字打出無格社稲荷神社(飯能市史資料編より)

「埼玉の神社」による久下稲荷神社の由緒

稲荷神社<飯能市稲荷町一-三(飯能字稲荷上)>
当社の鎮座する稲荷町は入間川左岸に位置し、元は久下分村の一部であった。久下分の地名の由来は、高麗郡の郡家があったことによる説と崖・岩山・谷などを意味する「クキ」の転訛したものとする説がある。主祭神は宇迦之御魂命である。創立は不詳であるが、戦前まで神体は小川真平家に預けられており、これが祭典の度に小川家と神社を往復していたところから小川家の氏神であったともいわれている。
『風土記稿』久下分村の項には「稲荷社 飯能村能仁寺持、稲荷社 村民の持」と稲荷社二社を載せるが、どちらが当社であるかは明らかにできない。
明治四一年に同町大字同字川端の秋葉神社、字柳川の稲荷神社、字真行坂の稲荷神社、字内出の稲荷神社の四社が合祀されたが、秋葉神社のみ現在も社殿は残され祭典も続けられている。
本殿は昭和五〇年の再建である。それ以前の本殿は、現在山車小屋に保管されており、社殿裏側に「明和四丁亥九月造之」と記される。
内陣には右肩に稲束を担ぎ左手に御鑰を持つ稲荷神像を安置し、その台座の底に「野崎直延作」とある。
祀職は、松本美勝、金子周作、宮原義雄と継いでいる。(「埼玉の神社」より)


久下稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)