白子神社。高麗人が入植した際に祀った社
白子神社の概要
白子神社は飯能市下加治にある神社です。白子神社の創建年代等は不詳ながら、霊亀2年(716)当国に移された高麗人が高麗郡に祀った白髪明神社28社のうちの一社で、天平勝宝3年(751)の創立だと伝えられます。また丹党青木氏の居城の鬼門除けに建立され、その後当地へ遷座したとも伝えられています。江戸期には下加治・青木・中居・小久保4ヶ村の鎮守として祀られ、明治維新後白髪神社と称していましたが、大正3年白鬚神社と改称、大正7年字宮沢の子の御前神社を合祀した際に、両社から一字づつ取り白子(しらね)神社と改めています。
社号 | 白子神社 |
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祭神 | 猿田彦命、稲田姫命 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽社・白山社・蚕影社・愛宕社、金刀比羅社 |
祭日 | 秋季大祭10月17日 |
住所 | 飯能市下加治160 |
備考 | - |
白子神社の由緒
白子神社の創建年代等は不詳ながら、霊亀2年(716)当国に移された高麗人が高麗郡に祀った白髪明神社28社のうちの一社で、天平勝宝3年(751)の創立だと伝えられます。また丹党青木氏の居城の鬼門除けに建立され、その後当地へ遷座したとも伝えられています。江戸期には下加治・青木・中居・小久保4ヶ村の鎮守として祀られ、明治維新後白髪神社と称していましたが、大正3年白鬚神社と改称、大正7年字宮沢の子の御前神社を合祀した際に、両社から一字づつ取り白子(しらね)神社と改めています。
新編武蔵風土記稿による白子神社の由緒
(下加治村)
白髭社
當村及び青木・中居・小久保等四ヶ村の鎮守なり、例祭九月廿九日瀧泉寺持、
太神宮
天神社
稲荷社
石神社
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天神社
村民の持、 (新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による白子神社の由緒
白子神社(飯能市下加治字栗屋160番地ノ甲)
創建は霊亀2年(716)白鬚明神社の創起というがはっきりしない。明治40年11月4日大字小久保地内の山王社と大字下加治地内の天神社をこの境内に移した。大正7年10月22日大字宮沢地内の子の御前神社を合祀し、それまで白鬚神社と称していたのを白子神社と改称した。(飯能市史資料編より)
「埼玉の神社」による白子神社の由緒
白子神社<飯能市下加治一六〇-甲(下加治字栗谷)>
飯能市街地の東北部に位置する下加治は、中央の低地に水田が作られ、北部に人家、南部に畑地が広がっている。
社伝によると、霊亀二年当国に移された高麗人が後に、崇敬していた猿田彦神を郡中二八ヵ所に祀った白髪明神の一社であるという。
創立は天平勝宝三年(七五一)といわれ、長享年間の再営と伝え、境内にある天然記念物の槙は再営の時に植えたものとされている。
また、一説には南接する大字青木に中世、武蔵七党の一つ丹党青木氏の居城があり、この城の鬼門に建てられ長享年間に現在の地に遷座したといわれる。別当は本山派修験加治山龍泉寺が務めていた。
社号は、古くは白髮神社と書き、大正三年に白髭神社と変更したが、同七年に字宮沢の子の御前神社を合祀したため、両社名の頭の文字を合わせて白子神社と改称した。
祭神は猿田彦命と稲田姫命である。内陣には四面の懸仏を安置する。かつては一尺ほどの宝剣もあったが戦時中に紛失した。
明治四〇年に同字天神前の天神社と大字小久保字山王松の山王社を合祀した。(「埼玉の神社」より)
白子神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)