苅生秋葉神社。飯能市苅生の神社
苅生秋葉神社の概要
苅生秋葉神社は、飯能市苅生にある神社です。苅生秋葉神社の創建年代等は不詳ながら、苅生村の東部字東の入赤根ケ峠頂上付近に鎮座、明和5年(1768)と記された幟が残されているといいます。その後西側の尾根に遷座、明治40年には南高麗神社に合祀されたものの、戦後の神社制度の廃止により昭和21年南高麗神社より分社し、元地に祀られたといいます。元地は、参詣が不便だったことから昭和42年当地へ遷座しています。
社号 | 秋葉神社 |
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祭神 | 火産霊神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 大祭4月18日 |
住所 | 飯能市苅生262 |
備考 | - |
苅生秋葉神社の由緒
苅生秋葉神社の創建年代等は不詳ながら、苅生村の東部字東の入赤根ケ峠頂上付近に鎮座、明和5年(1768)と記された幟が残されているといいます。その後西側の尾根に遷座、明治40年には南高麗神社に合祀されたものの、戦後の神社制度の廃止により昭和21年南高麗神社より分社し、元地に祀られたといいます。元地は、参詣が不便だったことから昭和42年当地へ遷座しています。
新編武蔵風土記稿による苅生秋葉神社の由緒
(苅生村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による苅生秋葉神社の由緒
法人でないため記載なし(「埼玉の神社」より)
「南高麗郡誌」による苅生秋葉神社の由緒
秋葉神社(苅生字川端262)
明治十九年の『村誌』によれば「旧秋葉大権現ト称ス維新ノ際社号改替ス旧反別二畝五歩官民未定無税地ナリ」と記されている。当社は古来より苅生村の東部字東の入赤根ケ峠頂上付近に鎮座されていた。創立年紀は未詳であるが地区住民より鎮守神として厚く崇敬されていた。
しかしこの境内地の脇を旧飯能-成木街道が通っており、通行人のたき火の不始末か再三の災禍にあい、やむなく西側の尾根に御社殿を立て替えたと言われる。明治四十年四月二十五日大字下直竹南高麗神社に合祀されたが、そのまま残されていた御社殿は、再度の災禍に遇い焼失した。その折り信仰心の厚い崇敬者により早速仮の社殿が建てられた。
しかし何時までも仮の御社殿では秋葉様に申し訳ないと、役員の呼びかけにより衆議一決御社殿の御造営が行われた。この時点においては南高麗神社に合祀されており、七月十五日の南高麗神社大祭には地区代表として総代が三名参列し、一般の氏子の人達はもともとの四月十八日に、秋葉様のお祭りを行っていた。
終戦後昭和二十一年二月二目、神社制度の廃止により神社は宗教法人として奉祀することになり、昭和二十一年四月南高麗神社より分社し、元の御社殿に復帰御鎮座せられた。
更に昭和年代が進むにつれて参詣の道程(里より二十分歩く)が不便なため新に字川端二六二番地を御神地に選定し御社殿の建設工事を起こし、昭和四十二年十一月竣工、同日遷座大祭を執行鎮座せられた。その後、平成五年社殿の大改修を行い十一月に完成した。
なお、春の大祭当日拝殿前に立てられる明和五年(一七六八)と記載された幟は再三の災禍にもかかわらず消失を免れたものである。(「南高麗郡誌」より)
苅生秋葉神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「南高麗郡誌」