中藤中郷白髪神社。高麗人が入植した際に祀った社
中藤中郷白髪神社の概要
中藤中郷白髪神社は、飯能市中藤中郷にある神社です。中藤中郷白髪神社は、霊亀2年(716)に高麗より渡来してきた人々が高麗郡内28ヵ所に祀った白鬚大明神の一つとされ、江戸期には中藤、小瀬戸村、曲竹村、原市場村(の一部)の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、明治41年神明社・高根神社・八坂神社の3社を合祀、昭和18年天神社を合祀しています。
社号 | 白髪神社 |
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祭神 | 猿田彦命、素戔嗚命、大日孁貴尊、高彦根命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷・秋葉社、白山社、神明社、八坂社、稲荷社 |
住所 | 飯能市大字中藤中郷231 |
祭日 | 例大祭10月9日、春祭2月15日、秋祭11月20日 |
備考 | - |
中藤中郷白髪神社の由緒
中藤中郷白髪神社は、霊亀2年(716)に高麗より渡来してきた人々が高麗郡内28ヵ所に祀った白鬚大明神の一つとされ、江戸期には中藤、小瀬戸村、曲竹村、原市場村(の一部)の鎮守として祀られていました。明治5年村社に列格、明治41年神明社・高根神社・八坂神社の3社を合祀、昭和18年天神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による中藤中郷白髪神社の由緒
(中藤村上郷・中藤村中郷・中藤村下郷)
天神社
これは大兩寺邊の鎮守なり、例祭二月廿五日、神職梅林因幡守吉田家の配下なり、
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大通神社
神職鈴木田雲、これも前に同じ(吉田家の配下なり)
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白髭社
當村及び小瀬戸村・曲竹村・原市場村の内、小名坊ヶ谷金山等の鎮守なり、例祭九月十九日、神職は前に同じ
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天王社
例祭六月十五日、神職上に同じ、(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による中藤中郷白髪神社の由緒
白髭神社(大字中藤中郷字宮原252)
創建年月日は、はっきりしない。明細帳には霊亀2年(716)創立。と記す。明治5年村社に列し、同41年神明社・高根神社・八坂神社の3社を合祀した。同42年9月上地林392.7㎡を境内に編入許可。同43年2月、原野600.6㎡を境内に編入許可があった。(飯能市史資料編より)
「埼玉の神社」による中藤中郷白髪神社の由緒
白髪神社<飯能市中藤中郷二五二(中藤村中郷字宮原)>
当社が鎮まる中藤は、古くは日影村の一部であったが、後に同村が中藤・原市場・赤沢の三村に分かれたことにより一村となった。更に中藤は上郷・中郷・下郷に分割し、俗に中藤三郷と呼ばれた。
武蔵国高麗郡はその名が示すように、霊亀二年に高麗より渡来してきた人々によって開かれた地で、中藤もまたその一つである。高麗人と称されるこの渡来者たちは、猿田彦命を尊信しており、郡中二八ヵ所にこの神を祀る白鬚大明神と呼ぶ神社を勧請した。当社は、その中の一つで、開村と同じく霊亀二年の創建と社伝にある。
当社の祀職を務める鈴木家は、寛永一五年に初代の重久が裁許状を受けて以来、一二代続いている社家で、現在、常義が奉仕している。
社殿は一間社流造りで、内陣には高さ約二〇センチメートルの神像を安置する。
明治五年には中藤村の村社となり、同四一年、字雲ヶ谷戸の神明社、字田ノ上の高根神社、字久根花の八坂神社の三社が合祀され、更に昭和一八年に字大両寺の天神社が合祀された。
合祀社のうち天神社は、『風土記稿』に「これは大両寺辺の鎮守なり、例祭二月廿五日、神職梅林因幡吉田家の配下なり」とある社であり、現在も梅林家により氏神として祀られている。(「埼玉の神社」より)
中藤中郷白髪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」