坂石諏訪神社。日本武尊が東征に際して舞を奉納した地に創建
坂石諏訪神社の概要
坂石諏訪神社は、飯能市坂石にある神社です。坂石諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東征に際して舞を奉納したと伝えられる舞山の山腹に鎮座、諏訪社と称していたといいます。ある時、地滑りにより社殿が当地まで押し流され、これも神様の御心ということで、改めて境内を設けたそうです。江戸期には坂石村・南村・坂元村の鎮守として崇敬され、慶安年間(1648-1652)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領していました。
社号 | 諏訪神社 |
---|---|
祭神 | 建御名方命 |
相殿 | 八坂刀賣命、多神別命 |
境内社 | 秋葉社 |
祭日 | 大祭5月5日 |
住所 | 飯能市大字坂石661 |
備考 | - |
坂石諏訪神社の由緒
坂石諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東征に際して舞を奉納したと伝えられる舞山の山腹に鎮座、諏訪社と称していたといいます。ある時、地滑りにより社殿が当地まで押し流され、これも神様の御心ということで、改めて境内を設けたそうです。江戸期には坂石村・南村・坂元村の鎮守として崇敬され、慶安年間(1648-1652)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領していました。
新編武蔵風土記稿による坂石諏訪神社の由緒
(坂石村)
諏訪社
神體白幣、例祭七月廿六日、當村及び南村坂元村の鎮守なり、慶安年中三石の御朱印を賜る、枝窪大和吉田家の配下なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による坂石諏訪神社の由緒
諏訪神社<飯能市坂石町分三四三(坂石字宮向)>
当社の鎮座する字宮向は、高麗川の右岸、坂石のほぼ中央に位置する。口碑によると、当社はかつて、社殿の正面(南方)にある舞山の山腹にあったが、ある時、地滑りが起こり、土砂と共に社殿が現在地まで押し流されたことから、これも神様の御心ということで、その場所を宮迎と呼び、境内を設けて神を祀るようになったと伝える。また舞山の山名については、日本武尊が東征に際してこの地を通った時、この山には神様(お諏訪様)がおいでになるとして、敬って舞を奉納したことから、それにちなんでこのように呼ぶようになったという伝説があり、当社が古くから信仰を集めてきたことがうかがわれる。
しかし、明治二六年三月一八日に発生した火災の猛威はすさまじく、民家の大半を焼き尽くし、当社も全焼したため、棟札・文書・神体など歴史資料のすべてを焼失してしまい、詳しい由緒は不明となってしまった。
祭神は建御名方神であるが、内陣に納められる棟札(年欠)によると同神に八坂刀賣命・多神別命の二柱を配祀している。
また、慶安年間に三石の朱印地を拝領していることからも、当社の勢力と信仰の厚さをうかがうことができよう。祀職は坂石字御嶽口にある枝窪家が代々奉仕していたが、昭和四年から我野神社社家の朝日家が替わり、現在は津守である(「埼玉の神社」より)
飯能市史資料編による坂石諏訪神社の由緒
創建年月日は、はっきりしない。往古から当地の鎮守として奉斎されていたが、明治20年の大火で社殿 宝物 社歴等の明細帳にいたるまで、ことごとく焼失。氏子協議の上、社殿を再建した。(飯能市史資料編より)
坂石諏訪神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」