大黒山萬福寺。高麗三十三ヶ所霊場
萬福寺の概要
真言宗豊山派寺院の萬福寺は、大黒山と号します。萬福寺の創建年代等は不詳ながら、澄意(天正年間1573-1593年間寂)が中興、慶安2年(1649)には観音堂領として寺領3石の御朱印状を江戸幕府より寺領していました。高麗三十三ヶ所霊場14番です。
山号 | 大黒山 |
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院号 | - |
寺号 | 萬福寺 |
本尊 | 聖観世音菩薩像像 |
住所 | 飯能市大字永田395 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
萬福寺の縁起
萬福寺の創建年代等は不詳ながら、澄意(天正年間1573-1593年間寂)が中興、慶安2年(1649)には観音堂領として寺領3石の御朱印状を江戸幕府より寺領していました。
新編武蔵風土記稿による萬福寺の縁起
(永田村)
萬福寺
大黒山と號す、新義眞言宗、江戸護持院末なり、慶安二年觀音堂領三石の御朱印を賜ふ、本尊觀音木の立像にて長三尺二寸、行基の作なりと云、中興開山澄意天正年中示寂すと云、寶永四年鐘の銘に曰、天文十一壬寅冬、千木氏良公起信再營而復古矣とあり、この寺天正の頃は澄意の代にて、紀州根来山清浄金剛院の末寺なりしに、程なく根来兵亂によりて一山毀廢に及びしゆへ、その後元禄十年隆益が代にいたりて、護持院の末寺となれりと云、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による萬福寺の縁起
萬福寺(永田字中内出395番地)
開山年代は不明であるが、「中興開山澄意天正年中寂す」(新風記)とあるところから、戦国時代末期に再建され寺運が隆盛となったものであろう。(飯能市史資料編より)
萬福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」