重照山楞厳寺。永平寺23世勅特賜佛山徳照禅師開山
楞厳寺の概要
曹洞宗寺院の楞厳寺は、重照山と号します。楞厳寺の創建年代等は不詳ながら、臨済宗寺院として創建、その後永平寺23世勅特賜佛山徳照禅師(寛永18年1641年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)寺領6石の御朱印状を受領、下名栗に末寺2ヶ寺を擁していました。
山号 | 重照山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 楞厳寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 飯能市大字下名栗874 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
楞厳寺の縁起
楞厳寺の創建年代等は不詳ながら、臨済宗寺院として創建、その後永平寺23世勅特賜佛山徳照禅師(寛永18年1641年寂)が曹洞宗寺院として開山したといいます。徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)寺領6石の御朱印状を受領、下名栗に末寺2ヶ寺を擁していました。
新編武蔵風土記稿による楞厳寺の縁起
(名栗村)
楞嚴寺
小名倉窪にあり、重照山と號す、曹洞宗にて越前國永平寺末なり、その初は臨済宗にて、鎌倉善京院末なりと云、本尊地蔵を安ず、開山は永平寺廿三世勅特賜佛山徳照禅師、寛永十八年七月朔日示寂す天正十九年六石の御朱印を賜ふ、境内九百七十二坪餘、末刹二ヶ寺あり、
本堂。東向、八間半に六間(新編武蔵風土記稿より)
環境庁・埼玉県掲示による楞厳寺の縁起
昔、越生龍穏寺に住む悪い竜が高山の不動様に尾を切られ、ここ重照山楞厳寺の池まで逃げて来ました。その後、竜は有間川奥の大淵に住みつき、恵みの雨を降らせる竜神となって農家の人々を助けるようになりました。それ以来、楞厳寺は淵の水と竜王霊印のお札をもらいに来る人々でにぎわったと言います。この曹洞宗のお寺は玉林和尚(15世紀後半)によって開かれ、その後、御州和尚(江戸時代初期)により現在の寺の基礎がつくられました。(環境庁・埼玉県掲示より)
楞厳寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿