徳雲山龍泉寺。淵の水と竜王霊印のお札
龍泉寺の概要
曹洞宗寺院の龍泉寺は、徳雲山と号します。龍泉寺は、玉林和尚(長享元年1487年寂)が開山、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領、その後御州和尚(正保5年1649年寂)が中興したといいます。越生から逃げてきた悪竜が、有間川奥の大淵に住みつき、恵みの雨を降らせる竜神となったと伝えられ、江戸期には淵の水と竜王霊印のお札を授かりに来る人々でにぎわったそうです。
山号 | 徳雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 龍泉寺 |
本尊 | 千手観音像 |
住所 | 飯能市大字下名栗583 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍泉寺の縁起
龍泉寺は、玉林和尚(長享元年1487年寂)が開山、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状を受領、その後御州和尚(正保5年1649年寂)が中興したといいます。越生から逃げてきた悪竜が、有間川奥の大淵に住みつき、恵みの雨を降らせる竜神となったと伝えられ、江戸期には淵の水と竜王霊印のお札を授かりに来る人々でにぎわったそうです。
新編武蔵風土記稿による龍泉寺の縁起
(下名栗村)
龍泉寺
小名川又にあり、徳雲山と號す、入間郡越生龍穏寺の末にて、曹洞宗なり、天正十九年十石の御朱印を賜ふ、本尊千手觀音を安ず、開山玉林長享元年化す、月日しれず、中興御州正保五年七月廿八日示寂、明和年中に火災に罹り、舊記録を失せりと云ふ
聖天社
秋葉社(新編武蔵風土記稿より)
環境庁・埼玉県掲示による龍泉寺の縁起
昔、越生龍穏寺に住む悪い竜が高山の不動様に尾を切られ、ここ徳雲山龍泉寺の池まで逃げて来ました。その後、竜は有間川奥の大淵に住みつき、恵みの雨を降らせる竜神となって農家の人々を助けるようになりました。それ以来、龍泉寺は淵の水と竜王霊印のお札をもらいに来る人々でにぎわったと言います。この曹洞宗のお寺は玉林和尚(15世紀後半)によって開かれ、その後、御州和尚(江戸時代初期)により現在の寺の基礎がつくられました。(環境庁・埼玉県掲示より)
龍泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿