長光寺。飯能市下直竹にある曹洞宗寺院

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鳳林山長光寺。国指定重要文化財の雲版

長光寺の概要

曹洞宗寺院の長光寺は、鳳林山と号します。長光寺は、通海(応永2年1395年寂)が貞治5年(1366)に創建、その後格翁方逸(弘治2年1556年寂)が中興開山、小瀬戸の岡部小右衛門忠正(即照院忠安永澄・弘治年間1555-1558年間没)が開基したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を受領、近郷に末寺を擁する本寺格の寺院でした。当寺の雲版は国指定重要文化財に、惣門・本堂は埼玉県有形文化財に指定されています。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所9番です。

長光寺
長光寺の概要
山号 鳳林山
院号 -
寺号 長光寺
本尊 釈迦如来像
住所 飯能市大字下直竹1056
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長光寺の縁起

長光寺は、通海(応永2年1395年寂)が貞治5年(1366)に創建、その後格翁方逸(弘治2年1556年寂)が中興開山、小瀬戸の岡部小右衛門忠正(即照院忠安永澄・弘治年間1555-1558年間没)が開基したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を受領、近郷に末寺を擁する本寺格の寺院でした。

新編武蔵風土記稿による長光寺の縁起

(下直竹村)
長光寺
鳳林山と號す、曹洞宗、郡中飯能村能仁寺末、慶安二年十五石の御朱印を賜ふ、本尊釋迦を安ず、貞治五年通海と云る僧の開創する所なり、通海は應永二年正月十六日化す、中興傳法開山格翁方逸、弘治二年八月廿三日寂す、開基岡部小右衛門忠正、法號即照院忠安永澄、歿年は弘治年中なりと云傳ふるのみ、此忠正は郡中小瀬戸村に土着し、慶安の頃東都に召れしと、今の岡部外記が先祖なり、岡部氏代々の墓ありしが、何の頃か杉並の天慶寺へ移せしと云、なを小瀬戸村の條併せ見るべし、
惣門
山門
鐘楼門
庫裡
衆寮(新編武蔵風土記稿より)

飯能市史資料編による長光寺の縁起

新風記によると貞治5年(1366)に通海という僧によって開創されたという。また中興開山である格翁方逸は弘治2年(1556)に示寂している。
開基は岡部小右衛門忠正で、小瀬戸に住んでいたという。(飯能市史資料編より)


長光寺所蔵の文化財

  • 雲版(国指定重要文化財)
  • 惣門(埼玉県指定有形文化財)
  • 長光寺本堂(埼玉県指定有形文化財)
  • 長光寺三門(飯能市指定有形文化財)

雲版

雲水僧、修行僧などの集まりの際、食事、作務、集合の合図に打ちたたいたこの長光寺の雲版は鎌倉末期に作られたもので、縦十センチメートル、厚さ一センチメートル、横五十五センチメートル、重量十五・七五キログラムの鋳銅製で、つるし穴は二個撞座は一方、だけの片面式となっている。左右両側にすりつぶしの銘があって「正和二年発丑十二月二十一日大工覺妙」と判読される。中央の陰刻は「鳳林山長光禅寺正和二年壬丑二月吉日」となっているが、これは貞治五年(一三六六)長光寺が創建された後に入手して銘を入れたものと思われるが、干支は誤って記入されている。
この雲版は時代的にも古いもので、形がきわめて美しく上品で全体的に少しの損傷もなく、またつるし穴が普通一個であるのに二個あることなどが貴重であるとされている。(「南高麗郡誌」より)

長光寺本堂

長光寺の本堂は、桁行十一間、梁間七間半、茅葺寄棟の大建築え、惣門・山門・本堂が一直線上に建つ禅宗様の伽藍配置をしている。
内部は土間、広縁をとり、八室からなる平面構成で、二本の円柱を内陣に用いるほかは、すべて角柱とし、柱筋もよく通り乱れがない。土間には床下に長い階が残っている。
本堂は江戸時代初期の建物で、現存する曹洞宗の本堂としては、最も古い時期に属するものである。(埼玉県・飯能市教育委員会掲示より)

長光寺三門

この三門は惣門(県指定有形文化財)、三門、中雀門、本堂(県指定有形文化財)と一直線上に並ぶ典型的な曹洞宗伽藍の一棟である。桁行三間、梁間三間の楼門造りで、梁間三間は類例が少なく、前の柱間は半間である。
また、この三門は本堂来迎柱上及び惣門の木鼻、斗栱と同形であり同時代(江戸時代初期)に再建された建造物である。
両脇には金剛力士像が安置されていたようで、金剛柵や羽目板もしくは貫のあとが残っている。三門は南向きに建立されており、東西は渡り廊下があった頃の名残で吹き抜けになってきる。屋根は茅葺の入母屋造りであったようだが、後に瓦葺きにし、現在は鉄板葺きに葺き替えられている。二階正面には釈迦如来像が安置され、左右には十六羅漢像が並んでいる。(飯能市教育委員会掲示より)

長光寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」