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上平野八幡神社。蓮田市上平野の神社

上平野八幡神社の概要

上平野八幡神社は、蓮田市上平野にある神社です。上平野八幡神社は、徳川家康が関東入国した安土桃山時代から上平野村が開発され、村の開発と同時に創建したのではないかといいます。明治6年に村社に列格、明治40年字長島谷の雷電社と字上綾瀬の須賀社を合祀したといいます。

上平野八幡神社
上平野八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 応神天皇
相殿 -
境内社 愛宕、稲荷、天神
祭日 -
住所 蓮田市上平野692
備考 -



上平野八幡神社の由緒

上平野八幡神社は、徳川家康が関東入国した安土桃山時代から上平野村が開発され、村の開発と同時に創建したのではないかといいます。明治6年に村社に列格、明治40年字長島谷の雷電社と字上綾瀬の須賀社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による上平野八幡神社の由緒

(上平野村)
八幡社
村の鎮守なり
末社。愛宕、稲荷
---
稲荷社
天王社
以上共に寶蔵寺
---
雷電社
妙音寺持、
末社稲荷(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上平野八幡神社の由緒

八幡神社<蓮田市上平野六九二(上平野字上綾瀬)>
鎮座地の上平野は、その名が示すように、元荒川右岸の平野部に位置する農業地域である。元来は単に「平野」と称していたが、元荒川下流の同名の村と区別するために、元禄年間(一六八八-一七〇四)ごろ、「上」の文字を冠するようになった。その地内には、享保十三年(一七二八)に井沢弥惣兵衛が中心となって開削した見沼代用水が通っているが、元荒川の対岸の芝山とを結ぶ伏越は、その重要構造物として著名である。
当社は、この上平野の鎮守として祀られてきた社で、慶長年間(一五九六-一六一五)に、村の開発と同時に勧請されたものといわれている。このことは、戦国期ごろに成立したとされる「市場之祭文写」に「武州崎西郡平野宿市祭」との記載があり、また、地内の平源寺も戦国末期の草創といわれていることから、まず間違いないものと思われる。なお、『風土記稿』上平野村の項には、「八幡社 村の鎮守なり 末社 愛宕 稲荷」とあり、別当についての記載はないが、実際には真言宗の宝蔵寺が別当であった。
明治になると、神仏分離が行われ、宝蔵寺は廃寺となり、墓地と集会所にその跡を残している。一方、当社は明治六年に村社になり、同四十年に字長島谷の雷電社と字上綾瀬の須賀社を合祀した。なお、社名は、当初は八幡社であったが、昭和十九年に八幡神社と改めた。(「埼玉の神社」より)


上平野八幡神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)