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井沼久伊豆神社。蓮田市井沼の神社

井沼久伊豆神社の概要

井沼久伊豆神社は、蓮田市井沼にある神社です。井沼久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、室町末期に佐藤内蔵助という武将が井沼に居館を構えていたことから、佐藤家の氏神として祀られていたのではないかといいます。宝永7年(1710)に久伊豆神社の本社とされる玉敷神社から改めて分霊を受けて再建、井沼の鎮守として祀られていました。明治40年に字的場の久伊豆神社を合祀しています。

井沼久伊豆神社
井沼久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 辨財天、稲荷、天満宮、八幡
祭日 春祭り4月、夏祭7月、秋祭り10月
住所 蓮田市井沼3292
備考 -



井沼久伊豆神社の由緒

井沼久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、室町末期に佐藤内蔵助という武将が井沼に居館を構えていたことから、佐藤家の氏神として祀られていたのではないかといいます。宝永7年(1710)に久伊豆神社の本社とされる玉敷神社から改めて分霊を受けて再建、井沼の鎮守として祀られていました。明治40年に字的場の久伊豆神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による井沼久伊豆神社の由緒

(井沼村)
久伊豆社二宇
二社共に村の鎮守なり、いづれも本地佛正観音を安ず、寶泉寺持、
末社
天照太神。八幡・春日の二神を相殿とす、
稲荷社二宇
--
辨天社
神體は春日の作なり、同寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による井沼久伊豆神社の由緒

久伊豆社<蓮田市井沼七五九(井沼字後塚)>
井沼の地内には、中央部の字堀之内に館跡があり、その東・西・南の三方に空堀と土塁跡が残る。この館には室町末期に佐藤内蔵助という武将が居城したと伝え、その子孫とされる佐藤清家は、当社の隣に居を構えている。
当社は、口碑によると、宝永七年(一七一〇)三月に、騎西の明神様(玉敷神社)から分霊を勧請し、社殿を再建したという。『風土記稿』井沼村の項には、「久伊豆社二宇 二社共に村の鎮守なり、いずれも本地仏正観世音を安ず、宝泉寺持」と載る。また、口碑によれば、当社の境内は元々佐藤家の敷地内であったという。また、別当であった宝泉寺の住職は、しばしば佐藤家から輩出していたという。恐らくは、本来佐藤家の氏神であった社が、村の鎮守として信仰されるようになってきたことから、宝永七年に久伊豆神社の本社とされる玉敷神社から改めて分霊を受け、同家とも関わりの深かった宝泉寺住職の手により、本地仏が納められたものであろう。
なお『風土記稿』に見える二社の久伊豆神社のうちのもう一社は、字的場に鎮座していたが、明治四十年五月、当社に合祀された。
当社の社殿は、文化五年(一八〇八)及び大正十二年に改築が行われた。しかし、その後老朽化が激しくなり、昭和六十四年、氏子の協力により大修理され現在に至っている。(「埼玉の神社」より)

埼玉県・蓮田市掲示による井沼久伊豆神社の由緒

「井沼の久伊豆神社」
蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。これは舟での運搬が深く関係しており、川の流れに沿って土地が開発されていったからではないかと思われます。
したがって、「久伊豆」の神は、豊作の神、水の神としての性格を持ち、稲作の信仰として祭られたと考えられ、当時の村の鎮守様であるなど、それぞれ個性的な歴史を持っています。
この「井沼の久伊豆神社」は、氏子数一一〇有余で構成され、
元旦の四方拝の祭典で始まり四月第一土、日曜日に春祭礼、
七月第一土、日曜日に夏祭礼、
八月十五日に観音様灯籠、
十月第二日曜日に秋祭礼を執行いたします。この間、総代三名、年当番六名を中心に拝殿及び境内の清掃等を行います。
春祭礼には、騎西町の玉敷神社から明神様を借りてきて氏子各戸回り家内安全、無業息災を祈る行事がとり行われます。(はすだ観光協会掲示より)


井沼久伊豆神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)