貝塚神社。蓮田市貝塚の神社

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貝塚神社。蓮田市貝塚の神社

貝塚神社の概要

貝塚神社は、蓮田市貝塚にある神社です。貝塚神社の創建年代などは不詳ながら、江戸時代初期から中期にかけて当地周辺の開発が進み、上閏戸村から貝塚村が分村、貝塚村小名貝塚の鎮守として当社が稲荷社と称して祀られたものと考えられます。明治2年に村社に列格、大正2年には、字羽山の山神社(旧十羅刹社)とその境内社の稲荷社、字山神の雷電社、字山神の山神社を合祀、貝塚神社と改称しています。地名の貝塚は、文字通り貝塚が多く発見されていることから名付けられており、当地は綾瀬貝塚と呼ばれ、縄文時代前期(約5500年前)の貝塚だといいます。

貝塚神社
貝塚神社の概要
社号 貝塚神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 天満宮
祭日 初午祭2月初午
住所 蓮田市貝塚799
備考 -



貝塚神社の由緒

貝塚神社の創建年代などは不詳ながら、江戸時代初期から中期にかけて当地周辺の開発が進み、上閏戸村から貝塚村が分村、貝塚村小名貝塚の鎮守として当社が稲荷社と称して祀られたものと考えられます。明治2年に村社に列格、大正2年には、字羽山の山神社(旧十羅刹社)とその境内社の稲荷社、字山神の雷電社、字山神の山神社を合祀、貝塚神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による貝塚神社の由緒

(貝塚村)
八幡社
稲荷社
十羅刹社
以上の神社、村内小名三ヶ所の鎮守にて神宮寺持、
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雷電社
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神宮寺
新義眞言宗、足立郡倉田村明星院末、八幡山と號す、本尊彌陀、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による貝塚神社の由緒

貝塚神社<蓮田市貝塚七九九(貝塚字塚本)>
当地は元荒川沿いに位置する。地名は付近に貝塚が多いことに由来する。『風土記稿』によれば、元禄年間(一六八八-一七〇四)に上閏戸村から分村したというが、寛文五年(一六六五)の「上尾宿助馬調」には「かいつか村」と見え、当時既に分村が進んでいたとみられる。また、口碑では「当地の開発は“六軒百姓”が行った」とある。
当社は、元は稲荷社と称し、地内でも高台に当たる貝塚の上に祀られている。古くから元荒川の氾濫を幾度となく被ってきた地域であることから、水害を避けてこの地が鎮座地に選定されたことが推測され村の開発を進める中で、農耕の神である稲荷神に耕地の安泰を期待したものであろう。
『風土記稿』貝塚村の項には「八幡社・稲荷社・十羅刹社 以上の神社、村内三ヶ所の鎮守にて、神宮寺持」と記される。この村内三ヶ所とは、小名山ノ神・貝塚・羽山を指し、貝塚で祀られていたのが当社である。一方、神宮寺は「新義真言宗、足立郡倉田村明星院末、八幡山と号す、本尊阿弥陀」と載る。
明治初年の神仏分離により別当の神宮寺から離れた当社は、明治二年に村社となり、翌年に神宮寺は廃寺となった。大正二年には、字羽山の山神社(旧、十羅刹社)とその境内社の稲荷社、字山神の雷電社と同字の山神社の計四社を合祀し、社名を貝塚神社と改めた。(「埼玉の神社」より)


貝塚神社所蔵の文化財

  • 綾瀬貝塚(埼玉県指定史跡)

綾瀬貝塚

綾瀬貝塚は、大宮台地、岩槻支丘の上にあり、元荒川に面している。標高約十三メートルで、水田との比高は約四メートルあるが、元荒川右岸において現在知られるかぎり最も奥に位置する貝塚である。縄文時代前期(約5500年前)の貝塚としては規模は比較的大きく、三箇所からなっている。貝類はヤマトシジミを主体とし、若干の海水産の貝を含んでいる。このことは、縄文時代前期に現在の元荒川流域の低地帯に海が奥深く入り込んでおり、貝塚附近が干潟であったことを示している。市内にある黒浜貝塚などとともに、縄文時代前期の海進を研究する上で極めて貴重な遺跡である。
なお昭和三年大山史前学研究所によって小発掘が行われている。(埼玉県教育委員会・蓮田市教育委員会掲示より)

貝塚神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)