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明星院。桶川市倉田にある真言宗智山派寺院、関東新義真言宗十一檀林

明星院の概要

真言宗智山派寺院の明星院は、五大山與願寺と号します。明星院の創建年代等は不詳ながら、隆尊上人(1378年没)が開山したといいます。徳川家康が関東に入国した翌年の天正19年(1591)には寺領十石の御朱印状を拝領し、時の住職良鑁が中興したといいます。中興二世祐長の代には徳川家康からの法問も多く、関東新義真言宗の十一檀林の一つとして觸頭を勤めていたといいます。

明星院
明星院の概要
山号 五大山
院号 明星院
寺号 與願寺
住所 桶川市倉田150
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



明星院の縁起

明星院の創建年代等は不詳ながら、隆尊上人(1378年没)が開山したといいます。徳川家康が関東に入国した翌年の天正19年(1591)には寺領十石の御朱印状を拝領し、時の住職良鑁が中興したといいます。中興二世祐長の代には徳川家康からの法問も多く、関東新義真言宗の十一檀林の一つとして觸頭を勤めていたといいます。

新編武蔵風土記稿による明星院の縁起

(倉田村)明星院
新義眞言宗、御室仁和寺の末、五大山興願寺と號す、開山隆尊寂年不詳、寛延の記に開山巳後四百年に及ぶとあれば、年代おして知らる、本尊虚空蔵は隆尊の自作にて、長六寸許の坐像なり、中興良鑁慶長四年寂す此僧もとは小室宿村無量寺の住職たりしが、天正十九年小室郷伊奈熊蔵が知行となり、無量寺の地所要害よきをもて、陣屋を築かんと所望せしを、良鑁承引して寺所を譲り、其身は當寺へ来り、遂に住職となれり、寺領十石の御朱印は、その年良鑁に賜ふ所なり、後無量寺を今の如く小室宿村に再興せしかど、無住にして此僧兼帶せしより、今も替らず、當寺より兼帶すと、尚無量寺の條見合すべし、中興二世祐長寛永五年寂す、此僧駿府に於て初て東照宮に謁し奉り、其後此邊御遊獵の節しばしば當寺へ立寄せ給ひ、法問など御聴聞ありて新義一派の僧司として御黒印の御條目を下したまふ、其文左の如し。
關東新義眞言宗法度
一爲學問住山之所化、不満廿年者不可執法幢事、
一入學問室後闕座之輩有之ハ永可秡衆事、
一座位可爲學問階﨟次第、付不遂住山不可着香衣事
一諸末寺の僧衆不可有本寺之命語俗縁権門企非法事、付不可奪取他寺之門徒事、
一不伺本寺不可居住末寺事、
右堅可守此旨者也、
慶長十八年五月廿一日
關東新義眞言諸本寺
什物屏風一雙
東照宮より賜る所、古法眼の筆なるよし、畫の圖はさまざまの繋馬を畫けり。
明星井
開山隆尊此地に庵を建、一百日の間求聞持の法を修せしとき、明星この井に影向あり、故に名とせりと云、今境内にあるは寫にて、實は本堂の床下にあり、當寺の院號も此井ある故なりと云ふ。
熊野社。
鐘樓。正徳二年鑄造の鐘をかく。
樓門、御成御門、古へは下馬札ありしと云ふ。(新編武蔵風土記稿より)

桶川市教育委員会掲示による明星院の縁起

明星院は、「五大山與願寺」と号し、新義真言宗智山派の由緒ある寺である。寺伝に寄れば、室町時代初期に隆尊上人(一三七八没)によって開山されたというが、江戸時代までの沿革については不明な点が多い。ところが天正十八年(一五九〇)に徳川家康が関東に入国すると、明星院は天正十九年には寺領十石を拝領し、その寄進状は現在も残されている。そして、この宗派の関東触頭職となり、さらに関東十一か談林(関東に置ける十一の学問寺)の一つとして高い格式を誇ったのである。
この寺には、「明星院文書」として、戦国時代から江戸時代の太田氏、北条氏、伊奈氏、徳川氏にかかわる貴重な古文書が保管されている。その中でも、慶長十八年(一六一三)に徳川家康から明星院に下された「新義真言宗諸法度」は宗派唯一のものである。この他にも、金蒔絵の行厨器(旅行のとき持ち歩いた弁当箱)、金屏風などの家康から下賜された品が伝えられている。
本堂裏の竹林のなかには、県指定天然記念物である「大カヤ」の巨木がそびえ立ち、同じく林の中ほどには「明星の井戸」があり、明星院という名はこの井戸に由来する。(桶川市教育委員会掲示より)


明星院所蔵の文化財

  • 倉田の大カヤ(国指定重要文化財)

明星院の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」