慶福寺。蓮田市蓮田にある天台宗寺院
慶福寺の概要
天台宗寺院の慶福寺は、中應山蓮台院と号します。慶福寺の創建年代等は不詳ながら、平安末期慈覚大師円仁の開眼導師と伝えられ、また建武五年(1338)銘の板碑が発見されていることから、古くより当地に創建されていたのではないかといいます。慶運(慶安年間1648-1652寂)を中興としているといいます。
山号 | 中應山 |
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院号 | 蓮台院 |
寺号 | 慶福寺 |
住所 | 蓮田市蓮田4-104 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慶福寺の縁起
慶福寺の創建年代等は不詳ながら、平安末期慈覚大師円仁の開眼導師と伝えられ、また建武五年(1338)銘の板碑が発見されていることから、古くより当地に創建されていたのではないかといいます。慶運(慶安年間1648-1652寂)を中興としているといいます。
新編武蔵風土記稿による慶福寺の縁起
(下蓮田村)慶福寺
天台宗、入間郡古尾谷村灌頂院末、中應山蓮臺院と號す、開山慶蓮は慶安年中寂せしと云、本尊三尊の彌陀を安ず。
地蔵堂二宇。一は立像、丈二尺許、定朝の作、一は秘佛にして見ることを許さず。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による慶福寺の縁起
本堂建立記念碑
当寺は新編武蔵風土記によれば「中應山蓮台院慶福寺ト号ス 入間郡古尾谷村天台宗灌頂院末(中興ノ祖)慶運ハ慶安年中寂セシト言ウ 本尊三尊ノ弥陀ヲ安ス 地蔵堂二宇アリ一ハ立像丈二尺許定朝ノ作一ハ秘仏ニシテ見ルコトヲ許サズ」とある。建立は平安末期慈覚大師円仁の開眼導師と伝えられるが建武五年の板碑が工事中地下より発見されて六百五拾有年以前に寺の存在を知ることができる。慶運を中興の祖として当代までは宥筭(さんぎ)廣祐、祐賢、廣海、大穏、眞循、秀慶、秀惠、成然、貫興、貫如、亮徹、亮傳、亮謙、亮弘の十七世を数える。昭和から平成年代に至り機運整い心の潤いと地域の尊厳を具現しつつ新本堂建立に至る。(境内石碑より)
慶福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」