奥田氷川神社。比企郡鳩山町奥田の神社

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奥田氷川神社。上杉安房守憲方が至徳元年に創建

奥田氷川神社の概要

奥田氷川神社は、比企郡鳩山町奥田にある神社です。奥田氷川神社は、天平年間(729-749)に当地で疫病が流行、疫病退散を願って武蔵国一の宮氷川大明神を祭り奉斎したと伝えられます。江戸期には奥田村の鎮守として祀られ、元禄13年(1700)には社殿を造営したといいます。

奥田氷川神社
奥田氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 建速須佐之男命
相殿 -
境内社 稲荷、戸隠、八坂
祭日 春祭典4月17日、秋祭典10月17日
住所 比企郡鳩山町奥田395
備考 -



奥田氷川神社の由緒

奥田氷川神社は、天平年間(729-749)に当地で疫病が流行、疫病退散を願って武蔵国一の宮氷川大明神を祭り奉斎したと伝えられます。江戸期には奥田村の鎮守として祀られ、元禄13年(1700)には社殿を造営したといいます。境内社の稲荷社は当地栗原家の氏神、八坂神社は上尾市平方の八枝神社の分霊を勧請、戸隠神社は雨乞いの神だそうです。

新編武蔵風土記稿による奥田氷川神社の由緒

(奥田村)
氷川社
村の鎮守にて、村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による奥田氷川神社の由緒

氷川神社<鳩山町奥田三九五(奥田字宮附)>
杉・檜・樅の木に囲まれた当社の境内は岩殿丘陵の中に位置しており、集落からは少し離れているため、閑静である。鎮座地の通称を明神山、字を宮附というが、これは当社がこの場所にあることにちなんだもので、このほかにも付近には鳥居前・宮の前・宮の沢・宮の入など、当社にちなんだ名称をもつ字が多い。
社記によれば当社は、天平年中(七二九-四九)、村内に疫病が流行した時、武蔵国一の宮氷川大明神に使いを遣わして祈禱を行い、その霊璽を奉迎し、今の栗原英夫家所有の山林の中に小祠を建てて奉斎したことに始まるという。その時、また、病難たちまち消除し、村内は平安を得ることができたため、村人は氷川大明神の神徳に感謝し、これを村の鎮守として年々祭祀を行ってきたが、元禄十三年(一七〇〇)、社が四隣の村々にある産神社に比べ小さいとの理由から、従来の小祠を脇に移し、新社殿を造営したとも伝えられる。
当社は、『風土記稿』では「村民持」となっているが、元禄十六年(一七〇三)・享保十二年(一七二七)・寛政八年(一七九六)の三枚の本殿建立棟札によれば神戸村(現東松山市神戸)の沢田山長慶寺が「遷宮沙門」として関与している。また、慶応元年(一八六五)の拝殿建立棟札では「東国一ノ宮神主岩井伊豫守社家栗原宮内」なる者が関与していることがわかる。(「埼玉の神社」より)


奥田氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)