真光寺。比企郡鳩山町大豆戸にある真言宗智山派寺院

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真光寺。応永元年創建、鳩山町指定文化財の水天画像

真光寺の概要

真言宗智山派寺院の真光寺は、西明山法輪院と号します。真光寺は、応永元年(1394)に円心が開基創建したといいます。江戸期には(応永23年(1416)に創建した)大豆戸三嶋神社の別当寺を務めていた他、雷電山に鎮座していた雷電社の別当を務めていました。雷電社の雨乞い祈願で使用された水天画像は鳩山町有形文化財に指定されています。武州八十八所霊場24番でした。

真光寺本堂
真光寺の概要
山号 西明山
院号 法輪院
寺号 真光寺
本尊 大日如来像
住所 比企郡鳩山町大豆戸340
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



真光寺の縁起

真光寺は、応永元年(1394)に円心が開基創建したといいます。江戸期には(応永23年(1416)に創建した)大豆戸三嶋神社の別当寺を務めていた他、雷電山に鎮座していた雷電社の別当を務めていました。なお、明治19年には暢陽学校分校が当寺で開校しています。

「近世鳩山図誌」による真光寺の縁起

大豆戸村の真光寺
谷筋は一本異なるが、興長寺の立地環境に近い。また村からの孤立感もない。新義真言宗で本尊は大日。開基年代の記載はないが、『郡村誌』によれば、「応永元年(一三九四)僧円心開基創建ス」とある。また、応永開基以後については寺伝や寺院資料(年未詳)によれば、「寛永二乙丑年(一六二五)三月法印良空代建立後延享元甲子年(一七四四)十一月法印尊応代再建」とある。境内には南北朝~室町期の石造物があり、寺伝や『郡村誌』の記述に合う。なお真光寺は、御朱印十二石の三島社の別当寺であるが、付属社にはほかに愛宕社が認められる。また、上掲龍光寺は真光寺を本寺としていたようである(「新記』)。同寺所蔵の水天画像は、町指定文化財である。ちなみに、明治十九年には暢陽学校分校が同寺に置かれた。(「近世鳩山図誌」より)

新編武蔵風土記稿による真光寺の縁起

(大豆戸村)
眞光寺
新義眞言宗、入間郡今市村法恩寺末、西明山法輪院と號す、本尊大日を安ず、又弘法大師眞筆不動の畫像一軸あり、普通の畫は矜羯羅・制吒迦相向て立り、是は二像と同じむきにて、めずらしき像なりとて秘蔵せり、
愛宕社(新編武蔵風土記稿より)


真光寺所蔵の文化財

  • 真光寺の水天画像(埼玉県指定有形文化財)

真光寺の水天画像

真光寺は、応永元年(一三九四)に円心阿闍梨が開山した真言宗智山派の寺です。この水天画像は、帝釈天、火天、閻魔天、羅刹天、風天、多聞天、梵天、地天、日天、月天、伊遮那天からなる十二天画像の一つで、雨乞い祈願に必要なご本尊として守り継がれてきました。
大豆戸で一番高い山を五輪山と言いますが、地元では、これを雷電山と昔から呼んでいて、夏、干魃の年には、水天画像を雷電山の祠のあるところの木の枝に吊して住職が読経し、農民が鐘と太鼓を叩いて雨乞い祈願をしたと言われています。(鳩山町教育委員会掲示より)

真光寺の周辺図


参考資料

  • 「近世鳩山図誌」
  • 新編武蔵風土記稿