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稲野辺神社。日高市新堀の神社

稲野辺神社の概要

稲野辺神社はもと囃明神(いななみょうじん)と称していましたが、訛っていなのへ神社と称されるようになりました。もとは、近くにあった古松のところにあり、その古松に、鬼栗毛という名馬を繋いでいたことから、その名馬の霊を祀ったことからいなな明神と称していたと、新編武蔵風土記稿にあります。

稲野辺神社
稲野辺神社の概要
社号 稲野辺神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 日高市新堀591
備考 -




稲野辺神社の由緒

稲野辺神社の創建年代等は不詳ながら、諏訪大明神と号しての新堀新田に鎮座、正慶2年(1333)に新田義貞が鎌倉幕府攻撃のために出陣の途次、社前に休んだところ軍馬が大いに嘶き兵勢を盛んにしたことから「嘶明神」又は「嘶諏訪明神」と号するようになり、さらに訛っていなのへ神社と称されるようになったといいます。もとは、近くにあった古松のところにあり、その古松に、鬼栗毛という名馬を繋いでいたことから、その名馬の霊を祀ったことからいなな明神と称していたともいいます。

新編武蔵風土記稿による稲野辺神社の由緒

稲ノ邊社
当社は鬼鹿毛と云、名馬の霊を祀りし所にて、もとは囃明神と号せしを、土人訛りていなのへと唱へり。今新田の地に古松一株あり。是かの馬を繋し木にて、古は此社その木のほとりにありしを、後当所に移せりと云。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による稲野辺神社の由緒

その昔、紀州熊野から移り住んだ新堀氏が開いた村であると伝える新堀の地に鎮座し、武御名方命を祀っている。当社は、かつて「諏訪大明神」と号し、現在の新堀新田に鎮座していたが、正慶二年(一三三三)に新田義貞が鎌倉幕府攻撃のために出陣の途次、社前に休んだところ軍馬が大いに嘶き兵勢を盛んにしたことに伴い、「嘶明神」又は「嘶諏訪明神」と号するようになり、いつしか、この「嘶き」が訛って「稲野辺」となったと、その由緒が明治四年本社拝殿建立棟札の裏面に記されている。
嘶ガ原は五百町にわたる広大な地で、馬草場として周囲の村々の入会地とされていたが、享保年中に当地の開発が行われ、その際当社の社地は狭まり、また嘶ガ原は村の中心から離れているため、当社は氏子から粗末に扱われ、その由緒も忘れられがちになった。そこで当時の別当を務めていた建光寺の法印常相がこうした現状を愁いて、これに代わる社地を強く望んだが実現せず、その後数十年の歳月を経て宝暦一一年法印尊印の時、檀徒及び村民の努力により現在の社地に遷座された。
なお現在、祀職を務める高麗家に所蔵されている寛永年間の高麗神社絵図面には、覆屋内に本殿と並んで嘶明神が祀られているが、当社とこの社との関わりについては不詳である。(「埼玉の神社」より)


いいお墓

稲野辺神社の周辺図