武幡横手神社。日高市横手の神社、旧村社

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武幡横手神社。貞観12年創建の伝承、旧八幡大神

武幡横手神社の概要

武幡横手神社は、日高市横手にある神社です。武幡横手神社は、八幡大神と称して貞観12年(870)の創建と伝えられます。貞治2年(1363)に武御名方命を併祀して諏訪社と改称、明治元年には武幡横手神社と改称、明治時代には、村社に列格していました。

武幡横手神社
武幡横手神社の概要
社号 武幡横手神社
祭神 誉田別命、武御名方命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭:8月21日から27日までの土・日曜日
住所 日高市横手509
備考 旧村社




武幡横手神社の由緒

武幡横手神社は、八幡大神と称して貞観12年(870)の創建と伝えられます。貞治2年(1363)に武御名方命を併祀して諏訪社と改称、明治元年には武幡横手神社と改称、明治時代には、村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による武幡横手神社の由緒

諏訪社
村の鎮守なり。例祭7月26日。当社に蔵する棟札に、奉造営武州高麗郡横手村、諏訪大明神、大檀那大久保重兵衛殿、小檀那山口若狭守、于時慶長6辛丑2月、神主大野治郎とあり。又刀一腰を蔵む。銘正恒、長2尺5寸。是は村民半之丞が先祖山口郷左衛門の佩るところなりしを、当社に奉納すといふ。神職は大野越後なり。(新編武蔵風土記稿より)

日高市教育委員会掲示による武幡横手神社の由緒

武幡横手神社
武幡横手神社は貞観12年(870)の創建と伝えられています。当初八幡大神と称しました。貞治2年(1363)に武御名方命を併祀して諏訪大明神と呼ばれるようになりましたが、明治元年(1868)に武幡横手神社と改めました。祭神に誉田別命、武御名方命を祀っています。(日高市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による武幡横手神社の由緒

武幡横手神社<日高町横手五〇九(横手字諏訪)>
当地は、高麗丘陵の西端、山地に挟まれた高麗川に沿って民家が点在する。
『明細帳』によると、当社は貞観一二年に誉田別命を祀り八幡大神と称していたが、貞治二年に武御名方命を併祀して後、諏訪大明神と称したという。
祀職は諏訪神社勧請以来高野家によって務められているが、同家は秩父の大野(現都幾川村か)の出身であるとして、大野姓を名乗った者もあった。
本殿は一間社流造りで内陣には諏訪・八幡両祭神の神像があり、内陣にある天明元年銘の神鏡に文政一〇年に両神像を高野越後が奉納したことが刻まれている。
また、「寛永一二年大内左京大夫多々良義弘九代後胤武州横手住山口若狭守重明三大孫山口六良右衛門」と記される「備前国正恒」銘の二尺五寸の刀が蔵されている。
社殿の造営を現存する棟札にみると、慶長六年本殿を造営、享保一〇年覆殿建立、寛政元年に社殿に風が強く当たることから拝殿・幣殿を建築した。文政一〇年本殿及び拝殿を再建、明治三六年拝殿幣殿再建、昭和三六年拝殿の屋根替えを行い現在に至っている。 明治元年、諏訪大明神を現社号に改めた。(「埼玉の神社」より)


武幡横手神社所蔵の文化財

  • 獅子舞(日高市市指定文化財)

獅子舞(市指定文化財昭和57年12月8日指定)

当社の例祭には、豊作祈願と安全祈願を込めた獅子舞が氏子により奉納されます。大正時代以前は9月15日に行われていましたが、秋蚕の最盛期と重なるために8月25日(現在は8月21日から27日までの土・日曜日)に変更されました。
前日をソロイと言い、当社から村を廻りながら瀧泉寺へ行きます。当日はホンマチと言います。
獅子舞の所役は万燈、御幣、山伏(ほら吹き)、おかめ(天細女命)、天狗様(猿田彦命)、笹楽子、導き、はい追い、雄獅子、雌獅子隠し、笠がかりの三つの場で構成され、太い竹竿を間に雄獅子が雌獅子を巡って激しく舞う「笹がかり」は一番の見せ場です。(日高市教育委員会掲示より)

武幡横手神社の周辺図