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下浅見八幡神社。本庄市下浅見の神社

下浅見八幡神社の概要

下浅見八幡神社は、本庄市児玉町下浅見にある神社です。下浅見八幡神社は、児玉党の浅見(阿佐美)実高が、奥州藤原泰衡征伐(1189)からの帰陣に際して、館の南東にあたる小高い当地に鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。江戸期には下浅見村の鎮守社として祀られ、明治維新後に村社に列格、明治40年雷電神社を合祀したといいます。

下浅見八幡神社
下浅見八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 大雷命
境内社 八海山大神、御嶽大神、三笠山大神、水神宮、意和羅天・御嶽坐王大権現・刀利天宮、普寛霊神、摩利支天、諏訪・金鑽・神明・八坂、天神天満宮、稲荷
祭日 元旦祭、初午祭、春祭り、八坂神社祭、大祓、秋祭り、新嘗祭
住所 本庄市児玉町下浅見879
備考 -



下浅見八幡神社の由緒

下浅見八幡神社は、児玉党の浅見(阿佐美)実高が、奥州藤原泰衡征伐(1189)からの帰陣に際して、館の南東にあたる小高い当地に鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。江戸期には下浅見村の鎮守社として祀られ、明治維新後に村社に列格、明治40年雷電神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による下浅見八幡神社の由緒

(下浅見村)
八幡社
村の鎮守とす。成就院持、下同じ。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下浅見八幡神社の由緒

八幡神社<児玉町下浅見八七九(下浅見字八幡)>
下浅見は、かつては入浅見と共に阿佐美といわれ、児玉党阿佐美氏の本貫の地とされる。児玉党系図(諸家系図纂)によると、児玉庄大夫家弘の末男弘方が、阿佐美氏を称している。弘方の子実高は、文治五年(一一八九)の奥州征伐に従軍し、翌年の源頼朝上格の際にも供奉したことが『吾妻鏡』に見える。地内の字新掘には「関根氏館」と呼ばれる館跡があり、一辺が七〇メートル前後の正方形の内堀が現存する。この地をかつては「二重堀」と呼んだことから、外堀もあったと考えられるが、現状では確認できない。明治期に書かれた「下浅見地誌」には、浅見実高が居住したとある。
当社は、『児玉郡誌』によれば、浅見実高が奥州征伐の帰陣の際、鶴岡八幡宮を当地に勧請して産土神としたという。当社は、館跡から見て南東で、館に続く街道沿いの小高い丘の上に鎮座することから、館を見渡せる場所を選んで、館の守護神として祀ったのであろう。
『風土記稿』によれば、当社は村の鎮守で、地内の成就院持であった。成就院の開山頼元は、元禄七年(一六九四)寂と伝えられる。
明治に入り、当社は別当成就院を離れて村社となった。明治四十年には字雷電山の無格社雷電神社を本殿に合祀した。なお、『明細帳』によれば、現在の社殿は正保五年(一六四八)の再興である。本殿には、木造の騎乗八幡大明神像(高さ二二メートル)が奉安されている。(「埼玉の神社」より)


下浅見八幡神社の周辺図