桂全寺。春日下総守景定が中興
桂全寺の概要
浄土宗寺院の桂全寺は、一京山阿弥陀院と号します。桂全寺の創建年代等は不詳ながら、極楽寺と称して小針新宿にあったといいます。春日下総守景定(元和2年1616年寂、法名一京院桂全林照居士)が当寺を当地に移して中興して桂全寺と改号しています。
山号 | 一京山 |
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院号 | 阿弥陀院 |
寺号 | 桂全寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 伊奈町小針内宿5414 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
桂全寺の縁起
桂全寺の創建年代等は不詳ながら、極楽寺と称して小針新宿にあったといいます。春日下総守景定(元和2年1616年寂、法名一京院桂全林照居士)が当寺を当地に移して中興して桂全寺と改号しています。春日一族は、足利氏や上杉氏・太田氏・北條氏に仕え、春日八郎行元は足利尊氏に従って桶川郷の菅谷村を領有、春日下総守景定自身は、小田原落城に伴い、北條氏房と共に高野山に蟄居、後徳川家康に仕えて大泉院・中野田明照寺を中興しています。
新編武蔵風土記稿による桂全寺の縁起
(小針内宿村)
桂全寺
浄土宗、下總國葛飾郡小金町東漸寺末、寺領五石を賜ふ、一京山阿彌陀院と號す、本尊三尊の彌陀を安ず、開山圓譽寂年を傳へず、當寺古は小針新宿村にありて、其頃は極楽寺と號せしを、何の頃か春日下總守景定當村に移し、再興して今の寺號に改めり、故に景定を開基と稱す、法名一京院桂全林照居士、元和二年七月四日卒すと云則今の地頭春日左太郎の先祖にして、當國の𦾔家なり、詳なることは中野田村明照寺の條に出せり、又當國の境内に景定の墓なりとて五輪の墓あり、これ下總守の墓なりとて五輪の墓あり、これ下總守の母の碑なりとも云、石理磨滅して讀がたけれど、妙照の二字幽に見えたり、よりて按ずるに、寺傳に景定の母は法諡を桂譽妙照信尼と號し、天正十八年九月五日卒せりといへば、この墓は景定が母のしるしなること疑ふべからずと、
天神社、諏訪社(新編武蔵風土記稿より)
「伊奈町史」による桂全寺の縁起
桂全寺は、一京山阿弥陀院桂全寺と号する浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来である。『風土記稿』によると、現在の千葉県松戸市にあたる下総国葛飾郡小金町東漸寺の末とされる。また、以前この寺は極楽寺といい、小針新宿にあったが、春日下総守景定がこの地に移して再興し、現在の桂全寺に改めたという。このため、景定を開基としている。なお、景定は元和二年(一六一六)七月四日に亡くなり、法名は一京院桂全林照居士と号した。
桂全寺の檀家は、小針内宿と小針新宿に広がりを持つ。このほか小室の若榎地区の墓地も桂全寺持ちで、檀家になっている。施餓鬼会は八月二四日に行われている。(「伊奈町史」より)
桂全寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「伊奈町史」(伊奈町教育委員会)