大泉院。春日下総守景定の父春日兵庫が開基
大泉院の概要
曹洞宗寺院の大泉院は、茂嶽山と号します。大泉院は、春日下総守景定の父春日兵庫(大泉院茂岳全榮菴主)が開基となり、喜菴總悦(大永5年1525年寂)が開山したといいます。徳川家康が関東に入国した天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を拝領、その後、桂全寺・明照寺を中興した春日下総守景定(天徳院全叟不安居士、元和2年1616年寂)が当院を中興したといいます。
山号 | 茂嶽山 |
---|---|
院号 | 大泉院 |
寺号 | - |
住所 | さいたま市桜区大久保領家363 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 大泉院幼稚園 |
大泉院の縁起
大泉院は、春日下総守景定の父春日兵庫(大泉院茂岳全榮菴主)が開基となり、喜菴總悦(大永5年1525年寂)が開山したといいます。徳川家康が関東に入国した天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を拝領、その後、桂全寺・明照寺を中興した春日下総守景定(天徳院全叟不安居士、元和2年1616年寂)が当院を中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による大泉院の縁起
(領家村)大泉院
禅宗曹洞派、入間郡澁井村蓮光寺の末、茂嶽山と號せり、天正十九年寺領五石の御朱印を賜ふ、開山喜菴總悦は大永五年十二月十三日寂す、開基は春日兵庫といひ、法名を大泉院茂岳全榮菴主と號す、この法謚によりて當寺の院號寺號を命ず、又の開基を天徳院全叟不安居士と稱し、元和元年七月四日歿す、俗稱を春日下総守と云りと、春日氏の家譜を閲するに、其先祖春日八郎行元は足利尊氏に屬して、しばしば軍功をあらはし、其賞として當郡桶川郷の内菅谷村を賜はれり、行元より四代の孫下総守某は、後兵庫入道と號し、上杉顕定の旗下に屬すと云、是にいふ春日兵庫なるべし、兵庫入道の男を下総守景定と稱す、郡内小針内宿村桂全寺及中野田村明照寺を開基せし人にて、元和二年七月四日伏見に於て卒すと云、是天徳院全叟のことならん、卒年は寺傳と合ざれど月日同じければ、何れか文字の誤あらん、よりて考ふるに春日兵庫當寺を草創せしを、其子下総守景定父の志を繼ぎ、再び堂を荘嚴して當寺を中興せしゆへ、又の開基と稱せしなるべし、猶桂全寺明照寺の條合せ見るべし、本尊釋迦を置り、客殿の軒に大鐘をかく、元禄四年鑄造せしよしを彫れり。
白山社。境内の鎮守なり、歯を患ふるもの當社に祈りて験ありと云ふ。
秋葉社。(新編武蔵風土記稿より)
大泉院所蔵の文化財
- ウスギモクセイ(天然記念物)
大泉院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」