木宮稲荷神社。三芳町藤久保の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

木宮稲荷神社。中山治左衛門の霊夢により創建、木宮(紀宮)

木宮稲荷神社の概要

木宮稲荷神社は、三芳町藤久保にある神社です。木宮稲荷神社は、当地の領主だった中山治左衛門が大阪在番の折、寛文元年(1661)稲荷の神が藤久保に下るという霊夢を見て、紀州の良材を搬送して創建したといいます。また別当寺が東乗院という大坂出身の修験であったことから、大坂・紀州(熊野)との関わりにより、木宮(紀宮)と呼称してきたのではないかと思われます。明治5年村社に列格、明治40年に旧東乗院境内にあった八坂社・浅間社を合祀してます。

木宮稲荷神社
木宮稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇賀豊受比賣命
相殿 -
境内社 八坂神社、浅間神社、山神社二社
祭日 初午2月初午、春大祭4月中旬、天王様7月14日、浅間様8月1日、秋大祭10月8日
住所 入間郡三芳町藤久保1026
備考 旧村社



木宮稲荷神社の由緒

木宮稲荷神社は、当地の領主だった中山治左衛門が大阪在番の折、寛文元年(1661)稲荷の神が藤久保に下るという霊夢を見て、紀州の良材を搬送して創建したといいます。また別当寺が東乗院という大坂出身の修験であったことから、大坂・紀州(熊野)との関わりにより、木宮(紀宮)と呼称してきたのではないかと思われます。明治5年村社に列格、明治40年に旧東乗院境内にあった八坂社・浅間社を合祀してます。

新編武蔵風土記稿による木宮稲荷神社の由緒

(藤久保村)
稲荷社
木の宮稲荷と呼、東乗院の持なり、(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による木宮稲荷神社の由緒

武州入間郡川越領藤久保村
鎮守稲荷明神丸社地東向本殿一間四方拝殿二間三間御除地四百四十九坪延寶三卯歳元禄七戌御検地牒明白也。氏子六十家其の開基年月詳ナラス木宮ト号スルコト中古寛文元年丑十月東都中山治左衛門殿大坂在番之節蒙霊夢造営神殿運贈海上再建成就以来今ニ至二月十三日祭祀無怠其後松平右京亮殿藩中菅野谷團之助殿ニヨリ正一位贈官シ玉フ文政元年寅九月從公儀御尋ニヨリ林大學殿書出下右ノ書面林大學殿平附旧来同村鎮守産土神タルヲ以テ明治五年村社ニ列セラル以上ノ由来ハ當社所蔵ノ古文書ニヨルモノデアル(境内掲示より)

「埼玉の神社」による木宮稲荷神社の由緒

稲荷神社<三芳町藤久保一〇二六(藤久保字南新野)>
当地の開発は、正保年間から元禄年間にかけて行われたと伝えられ、藤久保の地名は、その昔、地区の東にある窪地に大きな藤の木があったことによるという。
当社は『藤久保村神社書上(文政元年寅九月)』によると、寛文元年丑一〇月、当地を領した中山治左衛門が大阪在番の折、稲荷の神が藤久保に下るという夢を見たところから、紀州の良材を当地に送って稲荷社を建立したことに始まる。以来、木宮と称し、勧遷の日を記念して一〇月一三日を祭日としていた。また、後に松平右京亮の志願により正一位の神階を受けたという。『風土記稿』には「木の宮稲荷と呼、東乗院の持なり」とあり、更に別当東乗院について「木宮山と云、本山修験、下南畑村十玉院配下、本尊は不動なり、起立の年歴詳ならず其先祖は摂津国大坂の人にて鈴木を氏とせしと云」と載せている。このように紀州や大阪の人鈴木と説かれていることから、当社の創建は熊野修験がかかわっていることがうかがわれる。
祀職は、神仏分離後、別当東乗院が復飾して神職となり当たっていた。境内社の浅間宮石祠に「明治十六年七月十日 祠掌鈴木文昌」がある。明治三四年鈴木家に替わって小野沢平が社掌となり、次いで林豊次、金子敬輔、同元と継いでいる。
明治四〇年、東乗院境内の八坂社・浅間社を境内に合祀した。(「埼玉の神社」より)


木宮稲荷神社の周辺図