西大久保八坂神社。毛呂山町西大久保の神社

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西大久保八坂神社。旧称牛頭天王社

西大久保八坂神社の概要

西大久保八坂神社は、毛呂山町西大久保にある神社です。西大久保八坂神社の創建年代等は不詳ながら、智福寺境内に大久保村の鎮守として祀られ、牛頭天王社と称していました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治40年地内の稲荷社、雷電社、日枝神社を合祀しています。

西大久保八坂神社
西大久保八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 須佐之男尊
相殿 宇気母智神・別雷神・大山咋神
境内社 雷電・稲荷
祭日 春祭り3月5日、天王様7月15日、秋祭り11月23日
住所 毛呂山町西大久保146
備考 -



西大久保八坂神社の由緒

西大久保八坂神社の創建年代等は不詳ながら、智福寺境内に大久保村の鎮守として祀られ、牛頭天王社と称していました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治40年地内の稲荷社、雷電社、日枝神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による西大久保八坂神社の由緒

(大久保村)
智福寺
新義眞言宗、石井村大智寺の門徒にて、金玉山と號す、本尊大日を安ず、
牛頭天王社。村の鎮守なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による西大久保八坂神社の由緒

八坂神社<毛呂山町西大久保一四六(西大久保字久保)>
毛呂山町の東端に当たる当地は、葛川流域の台地上にあり、当社はこの川の右岸に鎮座している。
また、『風土記稿』によると、江戸期、当地は大久保村と呼ばれ、鎮守として牛頭天王社(当社)を祀っていた。
主祭神は、須佐之男尊で、内陣には束帯の神像を安置する。また、合祀神は宇気母智神・別雷神・大山咋神の三柱である。
別当は当社に隣接する真言宗金玉山智福寺が務めていた。ここは、石井村大智寺の末寺である。
明治初年、当社は神仏分離により、智福寺の管理を離れ、社名も八坂社と改め、同五年に村社となった。
祀職は智福寺の後を受け、坂戸市森戸の清水家が代々務め、祭祀については、『郡村誌』に祭日六月一五日とあり、村人の無病息災を祈って祭りが行われていたものと思われる。
明治四〇年三月一六日、字谷ノ中の稲荷社、字下原の雷電社、字上の日枝神社を当社本殿に合祀した。(「埼玉の神社」より)


西大久保八坂神社の周辺図