猫の足あとによる埼玉県寺社案内

木ノ宮地蔵堂。三芳町上富にある寺院

木ノ宮地蔵堂の概要

寺院の木ノ宮地蔵堂は、入間郡三芳町上富にあります。木ノ宮地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、坂上田村麻呂が北国遠征の際に延暦24年(805)創建したと伝えられます。寛永19年(1642)に焼失したものの、当年に石地蔵(現奥之院)が奉納され、三富新田開発が終了した元禄9年(1696)に再建、現地蔵堂は、安永6年(1777)に再建されたものでケヤキ造り、町文化財に指定されています。また、奥之院の石地蔵も町文化財に指定されている他、三富開拓地割遺跡として埼玉県旧跡に指定されています。

木ノ宮地蔵堂
木ノ宮地蔵堂の概要
山号 三富山
院号 -
寺号 多福寺
住所 入間郡三芳町上富1501
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 多福寺の境内仏堂



木ノ宮地蔵堂の縁起

木ノ宮地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、坂上田村麻呂が北国遠征の際に延暦24年(805)創建したと伝えられます。寛永19年(1642)に焼失したものの、当年に石地蔵(現奥之院)が奉納され、三富新田開発が終了した元禄9年(1696)に再建、同じく元禄9年に多福寺が創建し、多福寺の境内仏堂となりました。現地蔵堂は、安永6年(1777)に再建されたものでケヤキ造り、町文化財に指定されています。

新編武蔵風土記稿による木ノ宮地蔵堂の縁起

(上富村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による木ノ宮地蔵堂の縁起

木ノ宮地蔵堂
木ノ宮地蔵堂(武蔵野地蔵堂)は、”富の地蔵さま”として古来より人々に親しまれている。江戸時代に書かれた古文書によると、延暦二四年(八〇五)坂上田村麻呂が北国遠征の際、武蔵野で道に迷ったところを地蔵菩薩に助けられ、その加護に感謝し地蔵堂を建立したと伝えられている。また、寛永十九年(一六四二)に焼失した堂宇を三富開拓が終了した元禄九年(一六九六)に開拓農民が出資して御堂を再建したが、七〇年ほど経つと破損がひどくなったため、明和六年(一七六九)に川越藩に地蔵堂の再建を願い、安永六年(一七七七)に現存する地蔵堂を完成させたと記されている。
地蔵堂は、間口六間・奥行七間の方丈造りで主要材のほとんどにケヤキを用い、須弥壇も総ケヤキ造りで見事な浮彫りが施されている。また、内陣の格天井には地元の絵師鈴木本英による一〇七枚の植物面が描かれている。当時、総ケヤキ造りでかつ、見事な天井画を描いている建物が建立できたということは、三富新田開拓の成功と経済的な豊かさを示しているようである。
木ノ宮地蔵は、縁結び、子授け、子育てのお地蔵さまとして信仰されており、堂内には多数の絵馬が奉納されている。毎年四月二三・二四日と八月二三・二四日の縁日には多くの参拝者と出店で賑わいを見せ、昔と変わらぬ信仰の厚さを物語っている。(三芳町教育委員会・三芳町文化財保護審議委員会掲示より)


木ノ宮地蔵堂所蔵の文化財

  • 木ノ宮地蔵堂(町指定文化財)
  • 木ノ宮地蔵奥之院の石地蔵(町指定文化財)
  • 三富開拓地割遺跡(埼玉県指定旧跡)
  • 甘藷の碑

木ノ宮地蔵奥之院の石地蔵

奥之院石地蔵坐像は、江戸時代初期に製作され、現在入間東部地区に残る石地蔵の中では最古のものである。背面には、奉再造武州入東郡木宮地蔵菩薩大権現像、寄進古尾谷木目郷(現川越市木野目)杉山長五郎 為二世安楽子孫繁栄也 時寛永一九壬午年(一六四二)雪月吉日」ときざまれている。文献によると寛永一九年に地蔵堂が焼失したと伝えられ、この石地蔵が堂宇焼失直後に奉納されたと見ると、三富開拓(元禄七年・一六九四)から遡ること五〇年以上もの昔、人の住まない武蔵野の原野の中にたたずむ木ノ宮地蔵はすでに人々の厚い信仰を集めていたことが窺える。(境内掲示より)

三富開拓地割遺跡

三富開拓地割遺跡は、元禄七年から九年(一六九四~九六)に川越藩主柳沢吉保の命を受け重臣曽根権太夫の指揮により実施された開拓で、三芳町上富。所沢市中富・下富の役一四〇〇町歩(約一四〇〇ヘクタール)に及び、開拓当時の景観を良く残す、生産性の高い農業地帯である。(境内掲示より)

甘藷の碑

「富のいも」として知られるさつまいもは、三富(三芳町上富、所沢市中富、下富)をはじめとする関東ローム層の発達したこの周辺の地域で今も盛んに作られている。
さつまいもは、青木昆陽により広められたというが、三芳町周辺では、江戸時代中期の寛延四年(一七五一)に、南永井村(現所沢市南永井)の吉田弥右衛門が千葉から種いもを取り寄せたことがはじまりである。やがて、江戸時代の末には、畑の作物のなかで最も多く作付けするようになった。今では、その当時ほど多く作付けはしていないが、依然として多くの農家がさつまいもを作っている。
明治の末年頃、三芳町の上富を中心に、青木昆陽に感謝の意をあらわす碑を建てようという計画が起こり、周辺の村々に寄附を募って回った。その後、計画は一時中断されたが、昭和十八年に三富の人々の手により、この碑は建立された。(三芳町教育委員会掲示より)

木ノ宮地蔵堂の周辺図