赤沼神社。春日部市赤沼の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

赤沼神社。旧称香取神社、赤沼の獅子舞

赤沼神社の概要

赤沼神社は、春日部市赤沼にある神社です。赤沼神社の創建年代等は不詳ながら、香取神社と号して赤沼村の鎮守として古来より祀られ、当社の祭礼では、越谷市の下間久里から享保3年(1718)に伝えられた獅子舞が奉納されます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治39年字沼廻の八坂社・字堂面の雷電社香取社合殿・字香取の稲荷社(二社)・字浦道の稲荷神社・字立野の熊野社・字香取の山王社の7社を合祀、赤沼神社と改称しています。

赤沼神社
赤沼神社の概要
社号 赤沼神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 八坂社、浅間社、猿田彦大神、水神
祭日 7月15日、10月19日の近い日曜日
住所 春日部市赤沼770
備考 -



赤沼神社の由緒

赤沼神社の創建年代等は不詳ながら、香取神社と号して赤沼村の鎮守として古来より祀られ、当社の祭礼では、越谷市の下間久里から享保3年(1718)に伝えられた獅子舞が奉納されます。明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、明治39年字沼廻の八坂社・字堂面の雷電社香取社合殿・字香取の稲荷社(二社)・字浦道の稲荷神社・字立野の熊野社・字香取の山王社の7社を合祀、赤沼神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による赤沼神社の由緒

(葛飾郡赤沼村)
八幡天神合社
村の鎮守なり、常楽寺持、
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稲荷社三
一は萬福寺、二は村民の持、
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大杉明神社
萬福寺持
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山王天神合社
安養院持
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香取社二
一は村の鎮守なり、正法院の持、社地に神明あり、一は村民の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による赤沼神社の由緒

赤沼神社<春日部市赤沼七七〇(赤沼字香取)>
当地には、かつて薬師堂があり、この堂を囲むように池があった。ある時利根川の氾濫によって池は沼と化し、堂は沼に没した。以来、この沼を仏に供える香水の「閼伽」に見立てて「閼伽沼」と呼んだことから赤沼と呼ばれるようになったという。当社は、元は香取神社と号し、古くより村の鎮守であったことから明治五年に村社となり、同三十九年に地内の無格社を合祀したのを機に赤沼神社と改称した。この時合祀された神社は、字沼廻の八坂社・字堂面の雷電社香取社合殿・字香取の稲荷社(二社)・字浦道の稲荷神社・字立野の熊野社・字香取の山王社の七社であった。
江戸期の当社は、正法寺持ちで、境内に神明社が祀られていた。この神明社は、明治四十三年に同じく境内社の大杉社と共に本社に合祀された。また、本殿には「武州葛飾郡赤沼村 正一位香取大明神」「享保十二年(一七二七)十二月十八日 神祇管領兼敬」と墨書がある神璽筥が納められており、この時に正一位の極位を受けたことがわかる。
大正十二年の関東大震災により、社殿に相当の被害を受けたため、同十四年一月三十日に再建した。更に、昭和二十五年には老朽化が進んだ社殿の修理と幟竿置場の新築を行い、同三十五年にも社殿の改築と社務所の新築を行ったが、社殿の老朽化が進んだため、氏子及び篤志者の協力を得て、同五十五年十月に本殿を除く社殿の再建を果たした。(「埼玉の神社」より)


赤沼神社所蔵の文化財

  • 赤沼の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)

赤沼の獅子舞

赤沼の獅子舞は、享保三年(一七一八)に現在の下間久里から伝わったもので、「角兵衛獅子」「神楽獅子」とも呼ばれています。
この獅子舞は、一人立三頭獅子という形式で、一人が一つの獅子頭を被り、太夫獅子・中獅子・雌獅子の三頭で舞うものです。演目は三番叟、出端、三匹が一緒に舞う三獅子舞、各獅子による練り、太夫獅子の弓くぐり、ブッキリ・サンギリとなっています。途中、余興としてキツネの舞や面神楽が行われ場を盛り上げます。
赤沼の獅子舞は動きが激しく、リズミカルなことが特徴です。また、面神楽が上演されること、音楽に祭り囃子との共通性があることから、獅子と神楽と囃子が結びついた形態といえます。
昭和三十六年頃に一旦途絶えましたが、地元の方々の熱意で平成元年に再開されました。(春日部市教育委員会掲示より)

赤沼神社の周辺図