粕壁雷電社。板倉の雷電神社を勧請
粕壁雷電社の概要
粕壁雷電社は、春日部市粕壁にある神社です。粕壁雷電社は、日照り続きに悩まされた農民たちが集まって上州板倉の雷電神社を勧請して元禄3年(1670)に創建したといいます。
社号 | 雷電社 |
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祭神 | 別雷命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 春日部市粕壁4607 |
備考 | - |
粕壁雷電社の由緒
粕壁雷電社は、日照り続きに悩まされた農民たちが集まって上州板倉の雷電神社を勧請して元禄3年(1670)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による粕壁雷電社の由緒
(埼玉郡粕壁宿)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による粕壁雷電社の由緒
雷電社<春日部市粕壁四六〇七(粕壁字八木崎)>
当社の鎮座地の東方一帯は俗に「山口田」と呼ばれている。その由来は、江戸時代の初めに伊勢国平野村の山口庄兵衛という宮大工が、日光東照宮造営の際、お召に応じて日光に赴き、造営工事終了後、日光街道を通って帰国の途次、粕壁宿に立ち寄り、そのまま土着して農民となり、この辺りの土地を開墾したと伝えられる。
当社は、高さ一メートルほどの雷電塚に社殿が建てられている。口碑によると、創建は元禄三年(一六九〇)七月のことである。当時、日照り続きのため、近隣の農民たちが集まって池を掘り、その傍らの盛り土の頂に上州板倉(群馬県板倉町)の雷電神社の分霊を奉斎し、雨乞い祭を行ったという。また、別の口碑によれば、当時この盛り土の大木に落雷があり、これを雷神の怒りと感じた村人は雷電神社の分霊を迎えて祀ったともいう。現在、参道入口にある池は、平成元年に境内整備が行われるまでは、ここから更に境内東側にかけて鉤の手状に広がっていたもので、これが創建時に掘られた池であったと思われる。
文政五年(一八〇八)「御尋ニ付書上帳」(中島家文書)の真言宗妙楽院の項に「一御除地 雷電社地 畑一畝拾八歩、寛政七卯年(一七九五)再建仕候、古来之義不相分 別当同院」と記されている。
明治初年の神仏分離により別当妙楽院から離れた当社は、社格制定に際して無格社とされた。(「埼玉の神社」より)
粕壁雷電社の周辺図