粕壁八坂神社。春日部市粕壁東の神社

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粕壁八坂神社。粕壁宿の市神

粕壁八坂神社の概要

粕壁八坂神社は、春日部市粕壁東にある八坂神社です。粕壁八坂神社の創建年代等は不詳ながら、(慶長年間に成立した)粕壁宿の入口にあたる当地に鎮座、明和7年(1770)火災により焼失、宿の市神として崇敬を集めてきたといいます。

粕壁八坂神社
粕壁八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 須佐之男命
相殿 -
境内社 -
祭日 7月中旬の土日曜日
住所 春日部市粕壁東4-1-18
備考 -



粕壁八坂神社の由緒

粕壁八坂神社の創建年代等は不詳ながら、(慶長年間に成立した)粕壁宿の入口にあたる当地に鎮座、明和7年(1770)火災により焼失、宿の市神として崇敬を集めてきたといいます。

境内掲示による粕壁八坂神社の由緒

粕壁宿は、日本橋から九里二丁(約三六キロメートル)の距離にある。幅約九メートルの道沿いには、約一・一キロメートルもの町並みが続いていた。嘉永二年(一八四九)には、人口は三七七九人、旅籠屋は三七軒あった。宿の入口にある八坂神社は、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれた。明和七年(一七七〇)に火災に遭い、詳しい由来は不明だが、宿の市神として信仰された。神社の祭礼は、現在の春日部夏まつりの起源でもあり、江戸時代には毎年六月(旧暦)に行われた。(春日部市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による粕壁八坂神社の由緒

(埼玉郡粕壁宿)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による粕壁八坂神社の由緒

八坂神社<春日部市粕壁東四-一-一八(粕壁町字新々田)>
「武州文書」の一つで、戦国期の成立と思われる「市場之祭文写」にも、「下総州春日部郷市祭成之」とあるように、このころ既に春日部は市場として知られるようになっていたものと思われる。この春日部の市は、毎月四・九のつく日に市が立つ六斎市であり、その市神として信仰されてきたのが当社である。
明和七年(一七七〇)八月二十一日の火災によって社殿が消失し、この際に一切の書類が灰となってしまったため、勧請の年月日や由緒等は不明であるが、市神として信仰されてきたという経緯から考えると、春日部の市の成立に伴って勧請されたものと推測される。また、口碑によれば、当社は、初めは最勝院という真言宗の寺院の境内の一角に祀られていたとも伝える。これが事実であるならば、最勝院は永正元年(一五〇四)の創立であるため、当社の勧請はそれ以降のこととなる。当社が現在の社地に移った時期は定かではないが、明和七年の火災を機に移ったものとも推測される。
現在の社地は、元来は柳家の所有地で、同家が社家として奉仕してきた。しかし、柳家が故あって神職を辞し、境内地の所有者も一、二転するに至り、氏子・崇敬者と総代が協議した結果、昭和十年に境内地一四一坪を神苑として八四六円で譲り受けた。また、この経緯を子々孫々に伝えようと「神苑記念碑」も境内に建立された。(「埼玉の神社」より)


粕壁八坂神社の周辺図